メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

選挙の結果

昨日の便りを書き終えた21時(昨晩)頃の段階でも、AKP圧勝の勢いが伝えられていたけれど、開票が進む中、その後も大きな変動は起こらず、最終的にAKPの得票率は約49%に達した。これは、2011年の約50%(49.9%)に次ぐ数値である。
選挙の1週間ほど前、定評のあるリサーチ会社アディル・ギュルが、AKP約47%という調査結果を明らかにしていたものの、その時点では、AKP支持の識者らも、「さすがにそこまでは行かないだろう。45%前後の攻防じゃないのか?」と予想していた。代表のアディル・ギュル氏によれば、AKPの幹部でさえ、47%を過大な数字と見ていたそうだ。
それどころか、その幹部はギュル氏に、「あんたCHPから金もらって、甘い数字で我が党を怠惰にさせようとしているんじゃあるまいな?」などと冗談を言ったらしい。しかし、この辺りがAKPの凄いところであるような気がする。ライバルのCHPは、いつも選挙前に甘い数字を掲げながら惨敗しているからだ。
今回の選挙で、最も大きく後退したのは、AKPと同じく保守層を支持基盤とするMHPだった。16%から12%に落ち込み、その多くの票がAKPに流れたと思われる。党の創設者故アルパスラン・テュルケシュ氏の子息トゥールル・テュルケシュ氏が、党を脱退してAKPに入党したのは何より痛かったに違いない。
MHPは、イスラム的・保守的な点でAKPに似通っているけれど、トルコ民族主義を強く打ち出しているところが異なっている。そのため、MHPの票を何とか取り込もうとしていたAKPには、以前からクルド問題の解決を模索しつつ、選挙が近づくと“トルコ民族主義的”になる傾向が見られた。
AKPが、2012年以降、クルド問題の解決へ大きく舵を切ったのは、2011年の総選挙における大勝、トルコの国力の充実といった諸々の条件が揃ったからだろう。2013年には、大々的に“和平プロセス”を開始した。
ところが、その6月には“ゲズィ公園騒動”が勃発して早くも歯車が狂い始める。トルコからの撤退を約束していたPKKは、そのまま国内に留まり、着々と武力闘争再開の準備に取り掛かったらしい。そして、今年の6月の選挙で、クルド系政党HDPが大躍進して和平への期待が高まったのも束の間、PKKは再び武力闘争に転じた。
これには、政治勢力のHDPが力を持つことを、武装勢力のPKKが嫌ったためだとか色々な説が飛び交っているけれど、真相はどうなのか良く解らない。シリアの内戦激化に活路を見出したとも言われている。
いずれにせよ、これに対して、AKP政権は軍を出動させて反撃を加え、“和平プロセス”は凍結されてしまう。でも考えようによっては、これが今回の再選挙における圧勝の大きな要因になったような気もする。
まず、和平を求めるクルド人民衆の一部がHDPから離れた。もっとも、これによってAKPが得たのは2ポイントぐらいかもしれない。しかし、MHP等からトルコ民族主義的な人たちの票がAKPに流れたのは大きかったと思う。AKP憎しの野党勢力は、AKPを非難するため、PKKを擁護するような発言を繰り返して墓穴を掘ってしまったようだ。
右派MHPとは異なり、ラディカルな左派のトルコ民族主義者ドウ・ペリンチェク氏(元労働者党党首)も、選挙の数日前に、AKP政権寄りのニュース番組でインタビューに答え、AKP支持こそ表明しなかったものの、CHP、MHP、HDPの野党全てが外国勢力と結託していると非難していた。
私にとっては、あのドウ・ペリンチェク氏がAKP政権寄りのニュース番組に出演したこと自体驚きだった。右派に限らず、左派トルコ民族主義者の中にもAKPへ投票した人たちはいたのだろう。
もしも、PKKが撤退していたり、HDPが和平路線を強く打ち出していたりしたら、和平プロセスに反対しているトルコ民族主義者の票がAKPへ流れることもなく、選挙の結果は6月と大して変わらないものになっていたと思う。
それどころか、AKPの支持基盤にもいるトルコ民族主義的な人たちの票が、かなりMHPへ流れていたかもしれない。
今日、近所の家電修理屋さんの店に寄ったところ、エルドアン大統領と同じ黒海地方リゼ県の出身で、熱烈なターイプ・エルドアン支持者の彼らは、まず選挙の結果を喜びながら、「これはターイプの勝利だ。アンカラの党本部の前に集まった人たちも、演説しているダヴトオウル首相の名ではなく、ターイプ・エルドアンを連呼していたじゃないか?」と満面に笑みを浮かべていた。
しかし、私が和平プロセスの再開云々を話題にしたら、途端に顔を曇らせ、「和平プロセスなんてとんでもない話だ」と言い出したのである。
「あれはターイプの重大な過失だった。我らがターイプだから、一度の過ちは許すが、今度またクルド人たちに譲歩するようなことがあったら、もう許さない。我々は二度とAKPには投票しないだろう」
彼らは、シリア難民の人たちへ支援を惜しまないのに、相手がクルド人になると、たちまち殺伐としたトルコ民族主義者に豹変してしまう。これには、本当にがっかりしたけれど、彼らが、エルドアン大統領には無条件で従う“信者”でないことは解った。左派知識人らは、「無知な連中が、何も考えないままエルドアンに追従している」なんて下らないこと言っているが、これは全く正しくない。
これに引き換え、フェトフッラー・ギュレン教団の人たちは、いったいどうなってしまったのだろう。彼らはHDPばかりか、あからさまにPKKまで擁護していた。それは以前の彼らの主張とは全く違う。あれだけ教養がある人たちなのに、尊師には無条件で従ってしまうのか・・・。
教養があって紳士的な教団の人たちとは異なり、尊師のフェトフッラー・ギュレン氏は一風変わっている。説教の際には、熱狂して泣いたり叫んだり、とても冷静な様子とは思えない。
AKPを支持する信心深いムスリムの中には、その様子が滑稽に思えるのか、説教の動画をフェースブックにアップして茶化す者もいる。基本的に、スンニー派イスラムが信仰の対象にしているのはアッラー(神)と預言者だけで、特定の導師を崇めたりすることもなければ、祈りの最中に熱狂することもない。そのため、熱狂する“尊師”を茶化したくなるようだ。
ところが、教団の人たちも同様の動画をアップして、尊師の言葉を書き込んだりしているから驚く。彼らにとっては、もちろん滑稽どころか有難いものなのだろう。やはりカルト教団はちょっと剣呑に思えてしまう。
そういえば、フェトフッラー・ギュレン教団の報道機関が、選挙の数日前に閉鎖されて話題になっていた。しかし、現在、教団を目の敵にしている司法関係者の中には、以前教団に協力的だったAKPとは少し距離を置いている人も少なくないような気がする。
10月7日に再審の法廷に立ったイルケル・バシュブー元参謀長官は、教団が罰せられるまで裁判は終わらないと語っていたが、同時にAKPとエルドアン大統領にも非難の矛先を向けていた。果たして、司法と教団の闘いはこれからどう展開するのだろう。
さて、つまらない話を長々と続けてしまったが、今日はイエニドアンの街も、AKPの勝利で祝賀ムードに包まれていた。家電修理屋さんが和平プロセスに反対するのは残念だけれど、彼らは日々の生活に忙しい至って冷静な人たちだから、和平プロセスが再開されたとしても、怒って街頭に繰り出したりしないはずだ。
次の選挙に投票しないと言っても、次の選挙は4年後である。クルドの人たちも大部分は和平を求めているし、選挙結果に酷く失望している左派の人たちは、発言こそ過激なものの、その多くは教養があって良い生活をしているから、もう余り無謀なことはしないだろう。明日から平穏な日々が続くように祈りたい。
私も今晩は安いワインで祝杯を挙げることにする。