メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

“クルド和平プロセス”の行方

昨晩(9月10日の晩)、表のバス通りでクラクションが鳴り響き、突然騒がしくなったので、何事かと思って外へ出たら、たくさんの人たちが大きなトルコ国旗を掲げて、デモ行進していた。
南東部で相次いだPKKのテロを非難する、AKP政権支持者らによるデモだったから、沿道の住民たちも拍手したり口笛吹いたりして、これに声援を送っていた。この地区では、おそらく住民の70%~80%がAKPを支持しているのではないかと思う。
6月の総選挙の結果、AKPは後退して、単独で組閣できない状態に陥ったものの、PKKと密接な関係を持つクルド政党のHDPが大躍進して、多くの議席を得たため、当時は“クルド和平プロセス”には進展が見られるのではないかという期待もあった。
しかし、その後、PKKは自ら和平プロセスを反故にする形で、再び武力闘争に転じた。
これに対して、HDPのデミルタシュ党首は、一応、PKKに武装放棄を呼びかけたりして、和平支持の立場をアピールしていたが、PKKが呼びかけに応じることなく、さらに攻勢を強めると、またもや態度を変えてPKKを擁護するかのような発言を繰り返している。これでは、デミルタシュ氏が自分の意志で発言しているのか、PKKの顔色を見ながら話しているだけなのか、どうにも解らなくなってしまう。
うちから歩いて20分ぐらいの所に、クルド人の親族らが経営している軽食店がある。良くここへ、新聞を買いがてら出かけて、簡単に昼飯を済ませたりしているけれど、1週間ほど前だったか、店のクルド人の青年がもう一人の親族を指さして、「この人、6月の選挙でHDPに投票したんだって、裏切者だよねえ」なんて笑っているのである。
指さされた方も、「いやー、まさかこんなことになるとは思わなかったよ」と笑っていたが、同様に相当数のAKP支持派のクルド人が“預け票”なるものをHDPへ投じていたと言われている。HDPが10%を確保して議席が得られないと、PKKがテロを再発させるのではないかと恐れたためらしい。
ところが、結果を見れば、HDPが議席を得たにも拘わらず、テロは再発してしまった。これは、AKP支持派の最大の誤算だったに違いない。私も非常に失望させられた。
8月の末には、ヨーロッパ側のタクシムで、熱心なHDP支持者の友人にも会ったが、南東部ヴァン県出身のクルド人である彼は、次のように語って、事態を楽観的に見ていた。
「近々、我らの指導者オジャラン氏が、PKKに武装放棄を呼びかけ、平和が戻る。そして、11月の選挙でHDPは大勝する」
しかし、今の時点で、こんな楽観論を信じる人は殆どいないだろう。そもそも、PKKは今年の3月のオジャラン氏の呼びかけにも全く応じる気配を見せていなかった。
アクシャム紙のギュライ・ギョクテュルク氏によれば、2013年の3月、オジャラン氏が“平和宣言”を出した時も、PKKはこれに従う意志など持ち合わせていなかったが、クルド人の民衆が“平和宣言”を熱狂的に迎え入れてしまったため、渋々、従うようなふりをしていただけらしい。
タクシムには、やはりヴァン県出身のクルド人であるAKP支持者の友人もいるから、彼にも会って行こうかと思ったけれど、時間がないので止めにした。彼の意見はフェースブックの投稿を見ていれば、だいだい解るから、また日を改めてゆっくり会うことにする。
彼はAKPを支持しているどころか、多くの親族らも含めて、AKPの党員になっている。熱烈なエルドアン大統領の支持者と言っても良い。
でも、HDP支持者の友人とは同郷であり、37~8歳と年齢も似通っているし、共通項がやたらと多いような気がする。まず、二人ともかなり信心深いほうだ。左派クルド政党の支持者には、以前から信心深いクルド人も少なくなかった。それから、二人ともクルド語(クルマンチ)に堪能で、親族などとの会話は、殆どクルド語である。天真爛漫で底抜けに人が良いところも共通している。
しかし、今になって思えば、2年ぐらい前、このAKP党員の友人が明らかにした“HDP(当時のBDP)の実態”とやらは、結構的を射ていたかもしれない。
当時は、“和平プロセス”が本格的に始まって間もない頃だったが、「BDPは何も変わっていない。私たちは近くにいるから良く解っている。上層部の連中は、今でも分離独立主義者だよ、皆、騙されているんだ」と話していたのである。