メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

犠牲祭

今日、9月24日は“犠牲祭”の初日だった。昨年は、10月4日が初日で、サルガーズィまで散歩に行ったけれど、今年も全く変えることなく、これを繰り返した。
サルガーズィの街には、“手回し回転椅子”や“パンチングマシーン”で楽しむ人たちがいて、これも昨年と全く同じ、ただ時計を売っている黒人さんの姿が見えなかった。
帰り道に、これまた昨年と同じ場所で羊を売っている人たちがいたので、話を聞いてみたら、やはりアール県から羊を運んで来たという。
「売れ残った羊はアールまで持って帰るんですか?」と訊いたら、「いやー、全部売って行くんだよ」と笑っていた。

生贄として羊を捧げる風習は、中国にもあったらしい。論語の八佾第三には次のような一節がある。
-子貢欲去告朔之饋羊。子曰、賜也、爾愛其羊。我愛其禮。-
「子貢、告朔の饋羊を去らんと欲す。子日わく、賜や、女は其の羊を愛しむ。我は其の礼を愛しむ。」
現代のトルコでも、犠牲祭に生贄を屠るのはもう止めようではないかという議論が毎年のように繰り返されているけれど、孔子の時代の中国にも同じような議論があったというのは非常に興味深い。そして、孔子はその礼が継続されることを望んでいた。
ところが、トルコで出版された「論語」のトルコ語訳を見ると、どうもこの一節のトルコ語訳が変である。“愛しむ”が“悲しむ”と訳されていて、これでは何だか孔子が、その礼の存在自体を悲しんでいたかのように思えてしまう。
トルコで、孔子に興味を抱く人たちは、大概、宗教を嫌っているため、こういう妙な訳になってしまったのだろうか? 私の偏見では、イスラム儒教に少し似ているところがあるように感じているのだが・・・。 

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