昨日、ワシントンで開かれた反IS連合の外相会議に出席したチャヴシュオール外相は、トルコによるIS掃討戦の過程を説明すると共に、シリアのクルド武装勢力YPG/PKKがテロ組織であることを改めて強調したという。
10日ほど前には、北イラク・クルド自治区のネチルヴァン・バルザーニ大統領が、「トルコはテロ組織のPKKを問題にしている。シリアに住むクルド人ではない」と発言したそうだけれど、これも日本では余り報道されていなかった。
それどころか、トルコと友好的な関係にある北イラク・クルド自治区の存在自体が殆ど忘れ去られていたのではないかと思う。
トルコはイラク戦争後に自治を承認された北イラクと友好的な関係を築き、経済的な交流も盛んになったので、「イラク戦争の勝者は、参戦を拒否したトルコじゃないのか?」などと囁かれたくらいだが、2013年以降、米国からその恨みを返されてきたような気もする。
米国は北イラクで失敗したため、それこそ躍起になって北シリアに反トルコ的なクルド政権を樹立させたかったのかもしれない。
しかし、PKKは反トルコ的であっても、組織内ではトルコ語が主に使われていたりして、何処までクルド的な組織なのか解らないという指摘もある。
幹部のドゥラン・カルカン氏などは、アダナ県の出身でクルド語も巧く話せず、果たしてエスニック的にクルドと関連があるのかどうかも疑われているらしい。
ドゥラン・カルカン氏には、イスラム異端のアレヴィー派という噂もあるが、PKKの下部組織と見做されている政党HDPの議員(トルコ議会の)を見ると、驚くほどアレヴィー派が多いそうだ。
2014年に亡くなったクルド人の友人は、「ディヤルバクル県の人口の殆どは、自分のように熱心なスンニー派だが、HDPは左翼の政党であり、異様なほどアレヴィー派が多い。あれでどうやってディヤルバクル県で票を得ているのか不思議なくらいだ」と語っていた。
アレヴィー派は、トルコ部族のアナトリア進出と共に伝播されたという説もあり、「アレヴィー派は皆トルコ人だ」と主張するトルコ民族主義的なアレヴィー派の友人もいたが、実際にはクルド語のザザ方言を話すアレヴィー派も少なくないという。
また、アレヴィー派であれば、母語が何であれ親しい関係を作っていた印象もある。イズミルでアレヴィー派の友人を訪ねた街区では、民族意識がクルド人であったりトルコ人であったりするアレヴィー派の人たちが寄り添って暮らしていた。
一方で、信仰に篤いスンニー派のクルド人であれば、アレヴィー派のクルド人よりもスンニー派のトルコ人に同胞意識を感じて、自分たちは主流派であり決してマイノリティではないと思っている場合もある。
私たちの考えている「民族」で、トルコの人たちを推し量ろうとするのは無理だろう。最近、勃興しているトルコの民族主義も「ルーツの如何に関わらず、我々はオスマン帝国のイスラム教徒に由来するトルコ人である」という民族主義ではないかと思えて来る。
そもそも、民族を表す「millet」というトルコ語は、オスマン帝国の時代、宗教の属性を表す言葉だったそうである。