メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

シーア派の熱狂とキリスト教/静かなスンニー派の礼拝

今日は、イスラム暦によるムハレム月の10日目「アーシューラー」の日である。西暦680年のこの日に、イマームフサインが「カルバラーの戦い」で殺害されたため、シーア派の人々は「フサインの殉教」を哀悼して盛大な行事を催すようになったという。

私は2014年の11月にイスタンブールで「アーシューラー」の行事を見学した。スンニー派が主流のトルコで、シーア派の人々は多少抑圧を感じていたのか、その鬱憤を晴らすかのような盛り上がりを見せていた。

ウイキペディアにも、「宗教的な感情が最高潮を迎えるアーシューラーの日は、シーア派社会のエネルギーが爆発する日」と記されているけれど、あの「アーシューラーの日」の雰囲気は、まさしく「エネルギーの爆発」という形容が相応しいように思えた。

いったい、あの熱狂は何処から得られるのだろう? それは、やはりイマームフサインが無残に殺されてしまったという悲劇性に起因するのではないかと思うが、ひょっとすると人間には、多くの場合、マゾヒズム的な一面が潜んでいて、これを刺激されると堪らなく興奮してしまうのではないか。シーア派の人々は、フサインの名を叫びながら、自分たちの体を叩いたりしている。

しかし、そういうマゾヒズムの頂点に達しているのは、十字架に掛けられたイエスであるかもしれない。しかも、イエスは、イマームフサインのように権力争いに敗れたのではなく、人々の罪を購う為に自ら進んで磔にされたというのだから、あれほど感動的な物語はないような気もする。老体を晒す前に、若くして非業の死を遂げるという「偶像」の絶対的な条件も満たしている。

イスラム預言者ムハンマドの場合、成功した指導者として天寿を全うしてしまったところが、まず物語になり難い。成功する過程においても、敵に攻められると塹壕(ハンダク)を掘って守りを固めたりと、何だかせこい事ばかりしている。これじゃあ一つも熱狂できない。

それで、シーア派は、イマームフサインの死に焦点を当てようとしたのだろうか? その時に、イエスの物語を参考にした形跡はないのだろうか? こんなこと考えても休むに似たりだけれど・・・。

トルコにはシーア派の他にもアレヴィー派という少数派のイスラム宗派がある。シーア派に近い宗派とされているそうだが、このアレヴィー派にもキリスト教の影響を指摘する説があるという。

アレヴィー派では、セマーと呼ばれる歌や舞踊を伴った礼拝の儀式が賑やかに営まれる。2007年、一度、セマーを見学する機会に恵まれたが、その時は、一人の青年が「アッラー!」と泣き叫びながら、半ばトランス状態に陥っていた。

韓国のプロテスタントの教会でも、似たような熱狂的盛り上がりを目にしたことがあるけれど、こういった例に比べれば、イスラムの礼拝は実に整然としていて味も素っ気もない。シーア派も普段の礼拝は静かなものである。

イスラム、特にスンニー派は、おそらく本質的に安寧秩序の維持を求めているから、多少抑圧的な傾向はあるとしても(なにしろやたらと禁止事項が多い)、非常に平和な宗教だと思う。

しかし、この平和は、映画「第3の男」で、ハリーが「500年の平和なスイスが生んだのは鳩時計だけだ」と語っているような平和であり、イスラムの社会にとっても、それほど有り難いものではなかったかもしれない。

結果として、イスラム世界は西欧の後塵を拝し、辛うじて植民地化を免れたトルコ以外の国々は、欧米から屈辱的な支配を受けてしまい、これが知識層における屈折した宗教意識の元になっているような気がする。

トルコの例を見れば、かつて社会の底辺に押しやられていた宗教が、表舞台へ進出したことにより、否応なく産業化や都市化といった社会の変化に適応して、社会と共に発展を遂げてきたという見方も成り立つけれど、トルコのイスラムは既にオスマン帝国の時代から、他のイスラム世界とは発展の段階が異なっていたらしい。

例えば、戦乱が続いて産業化どころではないイラクやシリアで、いったいどういう社会の変化に適応しろと言うのだろう? 彼らの屈折した宗教意識を癒すのは、とても難しいような気がする。しかし、イスラムフォビアによって、彼らを追い詰めれば、その屈折がもっと捻じ曲げられてしまうのは明らかじゃないかと思う。


アーシューラーの哀悼詩

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