2月の初旬、この工場へ製品を納入しているグローバル企業のトルコ人エンジニアと知り合った。カナダとの二重国籍者で、普段はカナダに住んでいるという。
大柄な男で、英語を話していれば、何処から見ても標準的なカナダ人に見えるけれど、トルコ語で話し始めると、たちまち気さくで親しみやすい何処にでもいそうな“トルコ人のおっさん”に切り替わってしまう。
トルコ人の奥さんもカナダで会社勤めしていて、子供たちは、もう殆ど英語しか解らないらしい。
どうしてカナダで暮らすようになったのかは聞かなかった。近年は、トルコで大きなプロジェクトがあると、長期に亘って、トルコへ“出向”して来たりするそうだ。
そういったプロジェクトで、日本の企業とも長い間一緒に働いたため、「日本人には親しみを感じる」と言い、私たちとの出会いにも、とても喜んでくれた。
しかし、当初は“日本人”をなかなか理解できずに苦労したという。
「同じオフィスで働いている私に訊けば良いことを、日本の本社経由で問い合わせたりするんだよ。なんていう人たちなのかと思ったね。打ち解けて話すようになるまで6ヵ月掛かった。6ヵ月だよ! でも、その後は、とても信頼できる人たちであることが解った。私は日本人が好きになったよ」
日本とトルコを比較して、こんな風にも話していた。
「日本は巧くやったと思う。充分な技術力を蓄えてから、国際市場に門戸を開いたでしょ。トルコは何の技術力もないまま開放してしまったからね」
良く解らないが、近年のトルコの経済発展には、そこそこの期待を懐き始めているようにも見えた。だからこそ不安も感じるのではないか。
トルコには、こうして海外へ出て行ってしまった優秀な人材が少なくなかっただろう。彼らが戻って来るようになれば、技術力等も飛躍的に上がるかもしれない。
我々日本人の中には、「産業化して経済発展したけれど、日本人は幸せにならなかった。トルコは産業化などしなくても良い」なんて言う人もいる。
こんなのは、定年退職して余生を過している“しょぼくれた老人”が、今から出世しようと意気込んでいる35歳に、「俺も君ぐらいの頃は、とにかく上を向いて頑張ったけれど、辿り着いてみたら大したこともなかった。そんな頑張ってもつまらないよ」とか何とかぶつぶつ言っているのと変わらないような気がする。
しかも、この35歳は、零落した名家の出身なのである。再び栄華を取り戻せば、それを巧く使いこなしていく術を心得ているかもしれない。
トルコは共和国以降、亡国のトラウマからなのか、暫くの間、かなり内向きになっていたけれど、二重国籍に何の抵抗も感じていないところなど、かつての大帝国の気概の名残ではないかと思う。
また、私のように5年以上滞在している外国人が、元の国籍を維持したまま、トルコ国籍を取得するのは難しいことでもないらしい。なかなか太っ腹な国なのである。
日本も一時期“帝国”をやっていたのに、期間が短かった所為か、それほどの気概は身につかなかったようだ。