メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「トルコ人・クルド人・アラブ人」

《2015年10月15日付け記事の再録》

中学か高校になって、世界史を習い、清朝の皇帝は満州族であると教わったけれど、私にはこれが何だか奇異に思えてしょうがなかった。
その後も、世界史では、ソビエト・ロシアの独裁者スターリングルジア人だったというような話に首を捻ったりしていた。
日本の歴史を学ぶと、渡来人といった人たちが活躍したのは飛鳥時代までで、それ以降に登場して来るのは大概日本人ばかりだ。
現代の日本も、社会的な有力者の殆どは“日本人”で、民族的に異なる出自を持つ人はほんの僅かしかいない。
それでも、ここは日本なのだから当然だろうと考えていた。異民族が、皇帝や独裁者になってしまうほうが遥かに不思議である。
ところが、大陸の世界では、同じ言語や文化を持つ人たちだけが集まって歴史を作ってきた社会・国はかえって珍しいのかもしれない。
ハンガリー独立運動の英雄コシュートは、父方スロバキア系・母方ドイツ系であり、叔父の中には熱心なスロバキア愛国者もいたそうだ。
しかし、コシュート本人は自身をハンガリー人と認識していたらしい。
フィンランドの愛国的な音楽“フィンランディア”の作曲者シベリウスは、スウェーデン系のフィンランド人だったという。
おそらく、こういった例は探せばいくらでも出て来るのだろう。文明の十字路“トルコ”に目を向けたら、それこそ数え切れないくらい出て来てしまうと思う。
ノーベル化学賞のアジズ・サンジャル氏には、トルコ民族主義的な傾向が見られるようだが、従弟のミトハト氏は、自分たちの母語アラビア語であると主張して、クルド民族主義的な政党で政治活動を行っている。

そもそも、トルコ民族主義思想の創始者と言われるズィヤ・ギョカルプは、ディヤルバクルの出身で母語クルド語のザザ方言だったらしい。
私たち日本人には、こういった事情がどうにも解りにくい。
トルコ人クルド人、アラブ人」と言えば、「日本人、韓国人、中国人」と同じように区別できるのかと思ってしまうけれど、実態はそう生易しいものじゃない。
ものの本によれば、オスマン帝国時代の人々は、西欧からエスニック的な民族主義が持ち込まれるまで、トルコ人やらクルド人といった概念さえ明確に意識していなかったそうである。
トルコ語クルド語、アラビア語、ラズ語、ギリシャ語といった様々な言語を母語とする人々が、それぞれの宗教を拠り所にして、自身をイスラム教徒のオスマン帝国臣民、あるいはギリシャ正教徒のオスマン帝国臣民などと認識していたらしい。
カラマンルというトルコ語母語とするギリシャ正教徒の存在も伝えられている。
それが、オスマン帝国の解体を目論んだ西欧により、民族主義が持ち込まれたことで状況が一変してしまう。
ズィヤ・ギョカルプのような知識人は、トルコ民族主義という思想のもとに団結して、西欧の分割攻勢から自分たちを守ろうとしたのだろう。
母語クルド語系ザザ方言で、オスマン語(トルコ語)による教養を身に付けた“オスマン人”だったギョカルプにしてみれば、ひょっとすると、トルコ民族主義によって“トルコ人”となるのは、「オスマン」という括りが「トルコ」に変わるようなものだったのかもしれない。
今でも、人々の民族意識には、我々日本人からして見たら驚くほどエスニック的な要素が少ない。
例えば、まだトルコ民族主義(今盛んなナショナリズムとは異なるエスニック的な民族主義)が盛んだった90年代でも、「私の父はボスニア人で、母はグルジア人、私はトルコ人です」といった認識が当たり前に通用していた。

今は解らないが、当時の日本で、仮に、「私の父は中国人で、母は韓国人、私は日本人です」と自己紹介する人がいたら、大概、『ええっ?』と訝しげに見られてしまっただろう。

また、トルコでは、アメリカのように一定のエスニック・ルーツを共にする人たちが支配階層を構成しているわけでもない。
オスマン帝国時代も皇帝一族のルーツが“中央アジアトルコ人”だっただけで、経済はギリシャ人やアルメニア人、政治的にはバルカン半島コーカサスの出身者らも強く、宗教界は末期に至るまで、聖典の言語が解るアラブ人が優位だったらしい。
それから、「西欧的な文化を身に付けたハイソサエティートルコ人」という意味の造語である「白いトルコ人」は、アメリカの「WASP」をもじって作られたそうだが、そのエスニック・ルーツや肌の色は様々である。
歴代の大統領や首相のルーツもいろいろで、現エルドアン大統領がグルジアのルーツを仄めかしたこともあった。奥さんのエミネ夫人がアラブ系であることは良く知られている。
もちろん、トルコ政府が90年代まで、トルコ民族主義固執するあまり、クルド民族主義を掲げた勢力を弾圧していたのは事実だろう。
しかし、これには、西欧列強による分割のトラウマも影響していたはずだ。なにしろ未だに、イギリスのBBC放送が、ノーベル賞受賞者へのインタビュー(直接ではなく電話取材だったらしい)で、開口一番「あなたはアラブ人ですか?」などと訊いたりするのである。
現在、トルコ政府は、この頑なな民族主義を改め、平等な国民の創生に向けて努力している。
問題は、クルド民族主義を改めようとしないHDP、そして糾弾されるべきは、クルド人民衆の意向など顧みることもなく、100年前の西欧の希望に従って、今でも分離独立に固執しながら、悪辣なテロを繰り返すPKKではないかと思う。