メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコは欧米から不当に扱われている

20年以上暮らしたトルコは、私にとって第二の故郷と言える。そのため、何かにつけてトルコの肩を持ちたくなってしまうかもしれない。

 しかし、公平に見ても、国際社会の中でトルコほど不当に扱われている国は珍しいのではないかと思う。

 100年前の西欧には、オスマン帝国が完全に解体されて、イスラム教徒の統治下にあった帝都コンスタンティニイェが再びキリスト教の聖地なればと希望を抱いた人たちも少なくなかっただろう。

ところが、アナトリアは解体を免れる。トルコ民族主義を掲げたイスラム教徒らによってトルコ共和国が樹立されたばかりか、間もなく始まった冷戦のため、西欧はトルコを同盟国として認めることになる。

 こういった歴史的な経緯が、現在の不当な扱いの根底に横たわっているように思えてならない。

 特に民族問題で、トルコは長年に亘って厳しい非難にさらされ続けて来たけれど、91年に私がトルコで暮らし始めて、まず『これは違う!』と感じたのは、この民族問題だった。

 私はトルコの人たちに、民族的、人種的な差別感が少ないことに驚いていた。人種的には、相当混ざり合ってしまった所為か、実の兄弟でも肌の色がかなり異なる場合もあるから、差別など出来るわけがないのである。

 91年当時の外務大臣であり、クルド人だったヒクメット・チェティン氏は、「社会で差別が明らかになるのは婚姻と賃貸に際してだが、トルコの社会でクルド人はいずれの場合も問題とならない」と語っていた。

 しかし、実際のところ、イスラムの異端と見做されているアレヴィー派は、婚姻に際して多少問題となることもあったという。

現在は、主流のスンニー派との通婚も多くなってきたそうだが、かつては「アレヴィー派の男に娘は渡せない」などと反対する親も少なくなかったらしい。

そもそも、トルコ語の「民族(millet)」は、オスマン帝国の時代、宗教の属性を表す言葉だったので、クルド人アルバニア人イスラム教徒として等しく多数派の「millet」に属していたことになる。

 今でも、クルド語を母語としながら宗教をアイデンティティにしているスンニー派の人ならば、自分たちがマイノリティであるとは全く思っていない。

 また、現在、問題となっているシリアとの国境に近い地域では、母語としてクルド語とアラビア語の双方を話す人も少なくない。

93年か94年、ウルファの近郊を案内してくれた地元の青年に、「あなたはクルド人ですか?」と尋ねたところ、「私は、トルコ語クルド語・アラビア語を全て同じレベルで話すことができるムスリムです」と返答されたことがあった。

こういった例は、これまで何度も書いてきたから、さらに繰り返すのも憚られるが、メディアの報道で「トルコ人クルド人の対立!」などという活字を見る度に、『それは違う!』と叫びたくなってしまう。

 クルド問題に興味を懐く方たちには、人道主義と共に「反権力」への憧れといったものがあるように思えてならないけれど、クルド問題を騒ぎ立てる言動は、世界の最高権力である米国の一部の権力者に巧く利用されていないだろうか?