メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ソープランドの面接

もう30年以上前、多分、1981年だったと思う。それこそ私が猿のように「トルコ」へ通っていた頃の話である。ソープランドと改称されるのはもう少し後のことで、当時は「トルコ風呂」。巷では単に「トルコ」と呼び表されていた。(ルートコという言い方もあった) 
20年ぐらい前、イスタンブールで働いていた日本人女性二人が里帰りして浅草の鮨屋へ行き、親爺さんから「職場の同僚ですか?」と訊かれて、「私たち一緒にトルコで働いているんですよ」と答えたら、親爺さんがのけぞったなんていう話もある。 
1981年当時、池袋辺りの安い「トルコ」は、吉原などの高級店と違って、待合室も狭くて貧弱なものだった。そんな待合室へ胸を高ぶらせながら入って、出撃の時間を待とうとしたところ、待合室の片隅に30代前半と思しき女性が静かに座っていたので、なんとなく気まずい感じがして、少し気勢を削がれてしまった。 
待合室にいる他の客たちも、不思議そうに女性の方をチラチラ見ていたけれど、私たちは、ナンパなどという下品な真似が出来ずに「トルコ風呂」へ通うジェントルマンばかりだから、女性に「貴方は何しに来たんですか?」なんて失礼なことを訊く奴は一人もいなかった。 
暫くすると、何やら書類を手にしたそこの店長氏(40歳ぐらい。ごく普通なサラリーマン風)が深々と一礼しながら入って来て、真っ直ぐ女性のところへ向かい、また深々と一礼し、「私が店長の〇〇です」と当たり前に挨拶してから、女性の前に座り、テーブルの上に書類を置いて、「えーと、こちらの履歴書を拝見したんですが・・・」と切り出した。どうやら、これから面接が始まるらしい。 
先ず店長氏は、「履歴書を拝見したんですが、この仕事は御経験が有るということなので、仕事内容の説明は省かせて頂いて結構ですね」と尋ね、女性が薄笑いを浮かべながら「ええ結構ですよ」と答えると、「いやー助かります」とやけに嬉しそうな顔をした。仕事内容を説明するのはそんなに難儀なことなんだろうか。 
店長氏はそれから自分の店について説明し始めた。「まあ御覧になれば解ると思いますが、こういう小さい店です。しかし、この時間帯でもお客様がたくさんお見えになっているように、かなりコンスタントにお客様はいらっしゃいますから、その点は心配ありません。・・・・私たちも働いている皆さんへ均等にお客様がつくよう努めていますが、やはり指名が入れば優先することになりますから、どうしても収入に差が出ることになります。その辺は御了承下さい。・・・・」。 
最後に店長氏が、「このような条件ですが、何か御質問はありますか?」と確認し、女性も「いえ良く解りました」とにこやかに答えて立ち上がり、二人して待合室を出て行った。普通の会社の面接と何ら変わるところは無かった。 
この店長氏は、働く女性たちから結構好かれていたようだ。一度、うんと早い時間に出撃したところ、店長氏は店の前を掃き清めていて、そこへ現れた店のキャピキャピした若い女性二人から「店長、おはよう!」と挨拶されると、腕時計を示しながら「何時だと思っているんだ。遅刻だよ、遅刻!」と声を荒らげたが、女性陣から「きゃー、店長怒ったー。可愛いー!」と反撃されて、『しょうがねえなあ』って顔で苦笑いしていた。 
後年、その頃ソープにはもう縁が無かったけれど、インターネットで色々検索していると、かつて何度も世話になった吉原の名店のホームページが出て来た。“店長日誌”というコーナーを読んでみたら、これが結構面白い。ちょっとうろ覚えだが、以下のように記されていた。
「・・・昨日面接に見えた女性は非常に美しい方で、しかもハキハキと自分の意見を述べ、積極的な感じでした。しかし、私はこの方をお断りしました。残念ながら、彼女には“自分は美人だから直ぐにお客さんの指名をたくさんもらえる”というような思い込みが感じられ、お客様を心からもてなそうという気持ちが全く伝わって来なかったのです。・・・・」。 
日本の風俗店は、なかなか侮りがたい。「心からもてなそうという気持ち」だそうである。
しかし、20代の私は、そんな「もてなし」など全く期待していなかった。期待していたのは、擬似恋愛のようなものだったかもしれない。池袋の店には好きな娘がいて、ずっと指名し続けた。なにしろ何処の誰だか解らないのだから、会おうと思ったら店へ行くよりない。そのうち、向こうが店を辞めてしまった。