メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

慰安婦問題と戦後の平和

慰安婦の問題はなかなか書き辛い。20代の頃、私はそれこそ定期的にソープランドへ出かけていた。彼女のいない独身男としては、『まあ、しょうがないんじゃないか』と思っていた。韓国へ行っても、これは変わらなかった。日本に比べたら破格に安いので喜んでいた。
その為、この問題に関わるのはなるべく避けたい気分だ。また、私のように“前科”がなくても、日本の政治家さんなどはこの論争に立ち入らない方が良いかもしれない。

日本の立場を悪くするだけになってしまう。“慰安婦”や“ソープランド”そのものに弁護の余地は殆どないように見える。
でも、自分を弁護するならば、少なくとも私は、30歳になって、『ひょっとすると俺にも恋愛は出来るのではないか』と思わせる出来事があって以来、ソープランド等へ全く足を運んでいない。恋愛の方は、結局、余り巧く行った試しもないが・・・。

だから、奥さんや恋愛相手がいるのに、ソープランドへ行く人については殆ど理解出来ない。しかし、世間にはこういう人が結構いる。キーセンツアーなどと言って、団体で韓国へ来ていた人たちもいた。あの人たちの殆どは既婚者だっただろう。
戦前、いつ死ぬかも解らない身で、慰安所を訪れていた独身の兵士たちとは訳が違う。慰安婦の問題は、戦後の方が遥かに性質が悪くなっているかもしれない。
これは日韓双方に問題があるように思う。私が知っている80年代末から90年代前半にかけても、一部の韓国企業は、当たり前な接待として“夜の女性”を提供していた。

日本の企業から出張して来る人たちの間に、「韓国へ来たら、女を抱かないことには仕事が始まらない。仕事のパートナーとして認めてくれない」などという認識がまかり通っていたくらいだ。
前科者の私が証言するならば、それでも日本人の客は、韓国の風俗業女性たちから受けが良かった。乱暴な男も少なくない韓国人客と比べれば、押し並べていくらか紳士的だと言うのである。
風俗業女性に対する世間一般の扱いも、韓国では日本と相当な隔たりがあったと思う。

何だか差別的な雰囲気さえあった。だから、戦前も朝鮮出身の慰安婦たちは、日本人の慰安婦より、世間でもっと嫌な目に会っていたのではないか。業者に騙されて連れて来られた娘さんも多かっただろう。
軍による強制徴用などはなかったようだが、それで済まされる問題ではないかもしれない。しかも、これは形を変え、一面もっと悪質になって、今も続いている。
それから、帝国が半島の安い労働力を利用していたという“搾取の問題”も、戦後に形を変えて続いていたような気がする。
韓国へ渡って間もない87年の秋頃、「日本と取引したい」という韓国の人から相談を持ちかけられたことがあった。木製の装飾品を製造している業者で、それまでも少量を日本へ納品してきたが、今回はクリスマス用に大量のオーダーを取りたいと言うのである。
その工房も見せてもらったが、雑然とした劣悪な環境にまず驚かされた。極めつけは、厚い木の板を刳り抜く機械で、そこには作業者の安全など全く考慮されていなかった。
作業者が、厚い大きな板材を機械の下へ差し入れると、上からカッターが降りて来て、板材を刳り抜く。恐ろしいことに、カッターは一定の間隔を置いて、ノンストップで上下しているだけで、安全装置も何もついていない。

作業のタイミングが少し狂えば、作業者の手は、肘下辺りから持って行かれてしまうだろう。
私が「この機械は危険極まりない」と余計なことを言ったら、親方は「大丈夫、もっと凄いのをお見せしましょう!」と笑い、板材を差し入れる間に、機械の前で自分が一回転して見せるという荒技を披露してくれた。私は背筋がゾクッとしてしまった。
こういう安全軽視の感覚は、トルコでもそれほど変わりがない。今回の炭鉱事故でも、それが如実に現れていた。
しかし、あの87年のクリスマスに、日本では韓国製の格安プレゼント用品が飛ぶように売れていたかもしれない。私が今日も喜んで身につけている中国製の下着や運動靴も、どんな環境で製造されていたのか解ったものではない。
戦後、欧米が拵えた有り難い“世界秩序”の中で、日本は間違いなく、搾取される分より搾取する分の方が遥かに多いポジションにいたはずだ。
戦後の平和とか民主主義とか言って、嫌なものに直接手を染めなくても済むようになっていただけじゃないのか。

この如何わしい“平和”がいつまでも続くと思ったら大きな間違いだと思う。