メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国のロマンティズム

今日(6月12日)のサバー紙のコラムで、ハサン・ビュレント・カフラマン氏は、今後、カタール等を始めとする中東の問題に、トルコが大きな役割を果たせる機会は余りないだろうと論じている。中東の行く末は、米露の両大国に委ねられてしまったらしい。
ここでカフラマン氏は、「トルコは中東から切り離された」という表現を使っているけれど、これは戦後の日本にも言えるような気がする。
日本は、戦後、東洋から切り離されてしまい、韓半島の問題でも、蚊帳の外に置かれてきた。
もっとも、オスマン帝国の時代から中東と親密な関係があったトルコと異なり、日本が東洋と関わっていたのは、明治以降の一時期に過ぎなかったはずだ。
現在、韓半島は、中米露に行く末を握られていて、韓国でさえ、何ら主導的な役割を担っていない。そういった状況の中で、韓国も米国との同盟を維持する以外には、選択肢がなさそうである。
しかし、韓国に関する報道を読むと、なんだかムン・ジェイン大統領は、またしてもロマンティズムに駆られてしまっているようにも見受けられる。
ネットで調べたら、「羹に懲りて膾を吹く」に似た韓国語の諺として、「スッポンを見て驚いたら、釜の蓋を見ても驚く」というのが挙げられていたけれど、ちょっと意味が違うのではないだろうか? 
韓国の人たちは、「羹に懲りて膾を吹く」どころか、ロマンやイデオロギーで熱くなると、なかなか冷め難いのかもしれない。

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