メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

シリアにはアングロサクソン的な政教分離を望む?

3週間ほど前、韓国のKBSニュースを見ていたところ、イスラムを専門とする先生が、キャスターの質問に答えて、ラマダン期間中、イスタンブールで注意すべき点を述べていた。
ラマダンに断食するイスラムの教義について説明し、日中の飲食や夕刻の飲酒に一定の配慮を求めながら、「政教分離の原則があり、観光立国である為、旅行客は自由に酒が飲めますが・・・」と断っていたけれど、これはちょっと違うような気がした。
まずトルコは、観光で成り立っている国じゃない。経済の中で大きな割合を占めているのは、繊維や自動車関連等の産業だろう。
また、ラマダンにも拘わらず、日中から大っぴらに飲食し、レストランなどで酒を飲んでいるのは、その大部分が、一応はイスラム教徒のトルコ人である。
もちろん、配慮するに越したことはないが、あまり神経質になる必要はないと思う。この先生が説明していたのは、イスタンブールというより、一般的なイスラム圏の国々における注意事項と考えれば良いかもしれない。
実際、先生は「何度もイスタンブールを訪れましたが・・・」と前置きしたくらいで、長期にわたる滞在経験もなさそうだ。イスラムを学んだのは、エジプトのカイロだったらしい。
もっとも、経典はアラビア語で記されているため、イスラムの研究に携わる方たちが、学究生活の大半をアラビア語圏で送り、トルコやイスタンブールの事情に詳しくないのは、致し方ないことだと諦めるよりない。これは日本でも同様だろう。
しかし、トルコもオスマン帝国の時代は、カリフを擁してイスラム世界の中心にいたのだから、これでは少し寂しいような気もする。
トルコにおける“政教分離”が、何か特殊な試みであるかのように語られ、イスラムとは相容れない制度であると半ば決めつけられてしまうのも、トルコの事情しか知らない私にとっては、なかなか納得し難い話である。
トルコもAKP政権が登場した頃は、「政教分離の危機」と騒がれ、私も騒いでいたけれど、これは全くの取り越し苦労だった。
オスマン帝国の時代から、異教徒らが経済等に影響力を及ぼしていた所為で、もともと政教分離的な面があったのか、現在、トルコの大多数の人たちが考えているイスラムには、政教分離の要素が既に含まれているのではないかと思いたくなるくらい、政教分離はトルコの社会に根付いていたようだ。
とはいえ、これはオスマン帝国の歴史的な成り立ちにも起因しているので、「トルコの特殊な事情」と言われてしまえば、一概には否定できなくなる。
AKPの主要メンバーに多いとされる“ナクシュバンディ派”も、中央アジアを起源とするイスラム神秘主義的な宗派であり、アラブとは異なる非常にトルコ的な思想だと言われている。
今や亜流扱いされているフェトフッラー・ギュレン教団が拠り所にしている“サイード・ヌルシーの思想”は、よっぽど正統なスンニー派イスラムに近いかもしれない。
先日、AKP政権のチャヴシュオウル外相は、トルコが望むシリアの新しい体制は“政教分離主義”に基づかなければならないと論じていた。
そして、それは今日のトルコで実現されている“アングロサクソン的な(!)政教分離”であると言い添えている。(かつての政教分離はフランス的だったという)↓
私はシリアにさえ足を踏み入れたことがなく、中東の事情はよく知らないが、オスマン帝国の領域だった歴史やナセルの時代を考えれば、シリアはもちろん、エジプトでも政教分離は可能じゃないだろうか?
少なくとも、「政教分離イスラムと相容れない制度である」と頭から決めつけてしまう必要はないと思う。

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