メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコはヨーロッパじゃないかもしれないが中東とも異なる

福沢諭吉が「文明論之概略」を著した明治8年、その記述の中に、諸外国の事情を誤って伝えた部分があるとしても、当時の読者の多くは、それに気づきようもなかったに違いない。
ところが、今日、トルコに関する情報が、誤って日本へ伝えられた場合、如何に無学であっても、現地にいる私は、『ちょっと違うんじゃないか?』なんて首を捻ったりしている。
かくいう私も、1991年にトルコへやって来るまでは、日本のメディアが伝える海外事情を概ね信じて疑わなかったけれど、近頃は大分疑い深くなってしまった。例えば、日本のメディアが伝えている南米等の状況は、どのくらい正確なのだろう?
もっとも、「トルコの政教分離の危機」といった問題では、トルコ国内の一部極端なメディアの報道もあって、現地で暮らしていながら、必要以上に危機感を募らせたりしていた。
しかし、今振り返ってみると、その殆どが取り越し苦労だった。
エティエン・マフチュプヤン氏は、もう2~3年前に、「未だAKPをイスラム云々で論じていたらお笑い草だ」と切り捨てていたが、最近は、反対派の多くも、建前はともかく、AKPを「イスラム主義の政党」とは認識していないだろう。
なにより、その支持基盤の民衆が、政教分離を否定するイスラム化など望んでいないと思う。トルコの社会は非常に世俗的であり、これは一朝一夕に出来上がったものじゃないような気もする。
オスマン帝国の時代、共和国革命によってもたらされる「政教分離と民主主義」の下地は、既に備わっていたと主張する識者も少なくない。
また、帝国の末期には、アナトリア西部のトルコ的な社会と、シリア~イラクのアラブ的な社会の間で、既に相当な隔たりが生じていたのではないかと論じられている。
現在、トルコにおけるシリア難民の問題は、同じイスラム教徒であるという点で、西欧より遥かに扱いやすい状態であるかもしれないが、それでも文化的な摩擦は顕著になっていると言われ、トルコの社会が厳しい負担を強いられているのは明らかである。
イスタンブールでは、かなり保守的な人たちであっても、シリアに紛れもない異文化を感じているのではないだろうか。
このトルコが、簡単に西欧から遠ざかって、東へ重心を移すというのは、あまり現実的な見方じゃないように思える。