メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのイスラム主義

トルコの主要なニュース専門局は、“YouTube”で「ライブ配信」を行っている。現地時間の夜9~11時頃には、なかなか興味深い時事討論番組などがあったりして、イスタンブールにいた頃は、毎日のように何れかのニュース専門局を視聴していた。
しかし、屋久島でこれを利用しようとしたら、深夜の時間帯に起きていなければならなくなってしまう。そのため、現在は、“YouTube”にアップされている録画の中から、ごく一部を暇な時に視聴するよりない。
一昨日は、たまたま以下の番組を観たけれど、トルコで放送されたのは、昨年の1月だったらしい。ブルハネッティン・ドゥランという政治学者がトルコの「イスラム主義」について論じていた。

Burhanettin Duran: İslamcılık Nedir (Ayrıntı - TRT Haber - 13.01.2016)

当時は、トルコでも「イスラム主義」に纏わる論争が未だ熱を帯びていたので、このテーマが取り上げられたに違いない。でも、最近は、トルコ国内の「イスラム主義」への関心が、一頃より大分薄れて来たような気もする。(今はラマダンで多少盛り上がっているだろうか?)
トルコ共和国政教分離が反故にされて、イスラム主義による体制が成立する」といった可能性は、既に全くと言って良いほど現実味を失っている所為かもしれない。
ブルハネッティン・ドゥラン氏も番組の中で、トルコのイスラム主義は、オスマン帝国の時代、国家を守る思想として生まれたのであり、他のイスラム地域のように「植民国家への抵抗」という要素を持っていなかったため、トルコ共和国以降も、自分たちの国家の利益は守ろうとした、と述べている。
この「国家の利益」に関わる外交問題は言うまでもなく、政治なんてそもそも世俗的な事柄だから、宗教の入り込める余地などいくらもないのではないかと思えるが、どうなんだろう?
産業化に至っては、ますます入り込める余地がなさそうだ。15年以上前、クズルック村の工場でも、宗教とかイデオロギーの問題に頭を悩ます必要はなかった。重要なのは、品質と生産効率を高めて、競合に打ち勝つことだった。
おそらく、日本のように、産業化が行きつくところまで行った国では、「あまりにも過酷な競争社会への失望」が、イスラム主義といったアンチ・テーゼを求めてしまうのかもしれないけれど、競争力を失った社会は、弱肉強食の国際社会で餌食されるだけだろう。
これからまだまだ産業を発展させて行かなければならないトルコが、日本で見られるそういったノスタルジックな気分に付き合っている余裕はないような気がする。

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