メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

旅の記憶

トルコの東部・南東部は、93年と94年の2度に分けて旅行している。94年の旅が6月だったのは確かだけれど、93年は暑かったことぐらいしか覚えていない。
当時は、あとで何か書くつもりなど全くなかったから、写真は随分撮ったけれど、他に記録らしいものは残していない。メモを取るどころか、ノートも筆記用具も携行していなかったと思う。私がノートを持ち歩くようになったのは、この10年ぐらいのことだ。
だから、印象的な出来事以外の記憶は、かなりあやふやで所々欠落していたり、時系列が怪しくなっていたりする。
例えば、94年は、黒海地方のトラブゾンを振り出しに、エルズルム、ドウバヤズィット、ワン、ビトゥリス、ディヤルバクル、ミディヤット、ジズレ、マルディンの順で回ったはずだが、ディヤルバクルとマルディンは、93年にも訪れていたので、この辺りの記憶が大分錯綜している。
また、意外に宿泊した所の印象が抜け落ちていたりする。上記では、エルズルムが6月だと言うのにストーブを焚いていた為、その安宿の玄関の様子に関しては、かなり鮮明な記憶がある。ドウバヤズィットでは、夜間外出禁止令が出ていたにも拘わらず、招待された山荘で夜遅くまで飲んでから、市内の安宿に送ってもらったので、これも印象に焼きついている。

 あと鮮明に思い出せるのは、あのちょっとした事件があったミディヤットとジズレの宿ぐらいである。他のビトゥリスやマルディン等々については、よく覚えている「ある宿の光景」が、この内の何処の宿なのかさっぱり思い出せない。ワンで二泊した宿が格安だったという記憶はあっても、どんな所だったのか全く印象が残っていない。
当時のカメラはデジタルじゃないから、フィルムがもったいなくて、殺風景な安宿の写真まで撮っていなかった所為もあるだろう。しかし、昼の出来事は詳細に覚えているのに、その晩泊まった宿が思い出せないなんて、人間の記憶とは妙なものだ。
というか、印象的な見聞の記憶が維持できているのは、イスタンブールに戻ったその翌日から、話のネタにして、身近にいるトルコの人を始め誰かつかまえては、何度も何度も繰り返し話して来たお陰だと思う。話しながら記憶が焼き直しされてしまった可能性は否定できないが、10年以上経って再訪した場所で、自分の記憶がかなり正確だったので驚いたこともある。
まあ、記されていることに記憶違いはあっても、意図的な“捏造”はないと申し上げておきたい。しかし、最近の見聞でも、歩いた時間とか距離は、感覚で書いている場合が多く、「時計を見たら・・」とか断りがない限り、非常にいい加減なので、当てにされると困る。
*写真は、91年の夏、初めてイスタンブールで泊まった時の宿。もう随分前から空き家になっているけれど、こういう古い木造家屋は、文化財保護のなんとやらで簡単に取り壊すことができないらしい。もう23年前になるが、あの晩のことは不思議なくらい良く覚えている。私は只で、受付の奥にある従業員用の部屋に泊めてもらった。

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