メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クルド語の新聞/イギリスへ移民したクルド人/クルド語に対する侮辱

数年前、メソポタミア文化センターを度々訪れていた頃の話です。受付で常時購買が可能となっていたクルド語の新聞が気になり、いつも受付に座っていた若い女性に、「この新聞、アザディヤ・ウェラト紙と言うのですか? クルド語でどういう意味になるんでしょう?」と尋ねたところ、彼女は近くに立っていた男性を呼んで、その意味を訊いていました。
アレヴィー派のクルド人が多いトゥンジェリ県の出身という彼女、おそらく政治的な関心があったから文化センターでアルバイトしていたのだろうけれど、いつも目の前に置かれている新聞の名称とクルド語の意味には余り関心がなかったようです。
また、やはりここの事務所で働いていたシヴァス県の出身というクルド人女性は、「シヴァス県はトルコ人の土地かもしれないが、それより南東の地域は全て我々クルド人の土地である」と極めてラディカルな主張を明らかにしていたものの、事務所にかかって来た電話を取ると、「あっ、ジョン。久しぶりね。・・・」と暫くトルコ語で通話しました。
「ロンドンにいる友達から掛かって来たのよ」
「お友達はトルコ語が話せるんですね」
クルド人で、トルコからイギリスへ移住したの」
「でも、ジョンて名前は?」
「もちろんトルコにいた時はそういう名前じゃなかったけれど、イギリスへ移住したからジョンになったの」
これには思わず、『おいおい貴方たちは、“トルコでは子供にクルド語の名前を付けることさえできない”と言って運動しているんじゃなかったのか?』と首を捻ってしまいました。
かつてトルコ共和国は、クルド語による会話さえ禁じて弾圧したから、当然、人々は反発し、それは独立を目指す運動への原動力になったかもしれませんが、民主主義を発展させて、そういった弾圧やクルド人を侮辱するような言動を廃絶すれば、宗教や文化的な基盤を同じくする人々はこれまで通り共存していけるのではないでしょうか。

クルド語が解放され、クルド語の放送や教育が可能になった今、“クルド語による学校教育”への熱望は、一部のインテリ層に限られていて、人々を突き動かす原動力には成り得ないように思います。
上述で“侮辱するような言動”と申しましたが、93年だったか、クルド語による放送の是非が議論されていた頃、ジョシュクン・クルジャというタカ派の政治家は、「トルコ語、及び世界的な文化に貢献できる言語以外の放送を禁じるという法案を通せば、如何にヤシャル・ケマル(トルコ文学の至宝と言われているクルド系作家)といえども、クルド語が世界的な文化に貢献できるなんてことは言えないだろう」などと発言していました。
英語やフランス語の教育放送を禁じるわけには行かないから、“世界的な文化に貢献できる言語”なんて馬鹿げた条件をつけたと考えられますが、なんと差別的で下品な言い草でしょう。わざわざクルド人を怒らせる為に発言したとしか思えませんでした。