メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

楢山節考

 ガービおじさん、猫移動作戦では、私が猫を手荒く扱うと言って一時へそを曲げ、私を遠ざけていたことがあります。最近は、昔と同じように愛想良く接してくれるものの、私を呼ぶのに、しょっちゅう名前を間違えて「カジモト」と言うのは、何だか気になって仕方がありません。これが“梶本”と間違えているのなら構わないけれど、ガービおじさんが日本人の姓名をそんなに知っているわけはないし、ひょっとして「ノートルダムの鐘つき男“カジモド”」に引っ掛けた嫌味な当てこすりじゃないかと勘ぐっています。そうすると、スザンナさんはジプシー女のエスメラルダで、御自身は悪徳神父といったところでしょうか。

まあ、ガービおじさんがなかなか厄介な爺様であるのは確かです。“性、狷介、自ら恃む所頗る厚く”で正しく「山月記」の李徴を思わせますが、李徴ほどには尊大でもないから、そのうち虎じゃなくて猫に化けてしまうかもしれません。

へそを曲げていた頃は、「楢山節考」についてしつこく話していました。マリアさん共々未だ羽振りが良かった頃は、スザンナさんも連れてフランスやイタリアへ旅行したというから、何処かで映画の「楢山節考」を観る機会があったのでしょう。

「日本には爺さん婆さんを山に捨てる習俗があったらしい。まあ、文化も文明もない野蛮な国だったからな。こうやって足を縛り付けて、ドンと突き落としたら、コロコロ転げて落ちて行くんだよ。ハハハハハ」

特にこの「ドンと突き落としたら、コロコロ・・・」が面白かったらしく、何度も愉快そうに繰り返して大笑いするのです。『この日本人、猫の次は俺も捨てるつもりか?』なんて思っていたかもしれません。

しかし、ガービおじさんの話を聞いていると、東郷平八郎を賞賛したりしたこの世代のトルコの知識層が、実際には日本をどう見ていたのか解るような気もします。西洋文明の揺籃の地に栄えたオスマン帝国の末裔にしてみれば、当然、そのように思えたでしょう。「東洋の野蛮国がロシアやアメリカを相手になかなか頑張った。褒めてやりたいよ」ぐらいの気持ちだったのではないでしょうか。

ところで、先日の「江戸時代の核家族化」という話について、そんなきれいごとじゃなかったのではないかという御指摘を頂きました。

江戸時代、農村の余剰人口は江戸や大阪などへ流入、長屋というスラムを形成したものの、その生活環境は極めて劣悪で若死にする者も多く、たとえ生きながらえたとしても、結婚して子孫を残すのは経済的にも難しかった為、一生独身のまま過ごす者が少なくなかったそうです。江戸時代に人口が殆ど増えなかったのは、農村の間引きや姥捨てより、若者が都市へ捨てられていたからであるという訳です。

しかし、現代に生きるこの私も、結局この歳になるまで結婚して子孫を残すことは出来なかったから、同じようなものでしょう。島に捨てられても子孫を残し続ける猫は、なかなか立派であるかもしれません。