メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

戦い済んで日が暮れて・・・?

大統領選挙の前に「トルコで政権交代か?」などと盛り上がっていた日本のメディアも、エルドアン大統領の再選に意気消沈してしまったのか、トルコに関するニュースはめっきり少なくなった。

選挙が拮抗した戦いであったのは確かだけれど、そもそもエルドアン大統領とその政党AKPが過半数を大きく上回ったことなど一度もない。2002年11月にAKP政権が発足して以来、いつも同じような拮抗した戦いが繰り返されて来たのである。

2002年の選挙でAKPの得票率は34%に過ぎなかった。「圧勝」と持て囃された2007年の選挙は46%。大統領選挙も結果を見れば、前回の2018年と殆ど変わらない52%だった。支持層に多少の変化は見られたかもしれないが・・・。

トルコが反欧米的な姿勢を見せ始めた2013年以降、トルコに対するネガティブな報道は執拗に続けられてきたのではないかと思う。おそらくは、トルコが分割されるか米国の覇権が失墜するまで続くのだろう。

いつだったか(3~5年前?)、池上彰氏が司会を務める番組に、武装したPKK(クルディスタン労働者党)戦闘員の写真が掲げられ、池上氏は戦闘員の中に女性が多いことを指摘しながら「クルド人は男女平等」などと論じていた。

テロ組織を公然と称賛する番組の構成にも驚いたが、「男女平等」とはいったい何なのだろう? 

「死ぬのも殺すのも平等に」ということだろうか? 

クルド人の多いトルコ南東部は、イスラム的・保守的な傾向が顕著である。

私は93年か94年に旅行して、小さな町の市場で、売っている人も買い物客も、その殆どが男性であることに驚いた。当時、同地域では女性が外を出歩くのも未だ良しとされていなかったのかもしれない。

最近は、こういった傾向にも相当な変化が見られるはずだ。

日本でも放送されているトルコのメロドラマは、もちろんトルコ全国で視聴されている。10年ほど前、同地域を旅行したトルコ人の友人は、「村で若い人たちに、イスタンブールから来たなんて言うと喜んで話を聞きたがるが、皆ドラマのように派手な暮らしをしているのかと思って、イスタンブールに憧れているらしい」と嘆いていた。

トルコでは2009年からクルド語の放送も始まっているが、トルコのメロドラマのクルド語吹き替えなどはあるのだろうか? 

海外のドラマのクルド語吹き替えなら見たことがあるけれど、若い人たちは身近に感じられるトルコ語のメロドラマを見たがるような気もする。

ところで、クルド語の放送はAKP政権の下で始められ、エルドアン首相(当時)も放送開始を告げる挨拶の言葉をクルド語で述べたりして政権の尽力をアピールしていたが、クルド語の放送を可能にする法改正は、その前のエジェビット政権下の2002年8月に行われている。

トルコは国家として、クルド問題の解決等々の政策を粛々と進めて来たわけで、何から何まで「独裁者エルドアン」が決めているのではない。

反対派は、「トルコ国家の発展が一段と進んだ時期に、タイミング良くエルドアンが居合わせただけだ」なんて僻んでいるけれど、あながち間違ってはいないかもしれない。

しかし、反対派が嫌う「スカーフの解禁」なども、やはり国家の発展の中で、その時期が訪れたのではなかったかと思う。

産業化に伴い、東部の保守的な農村の人々がイスタンブールイズミルのような西部の都市へ押し寄せると、かつては非常に西欧的だった各都市にもスカーフを被った保守的でイスラム的な女性の姿が目立つようになる。

それと共に、こういった保守層の教育水準も飛躍的に上がり、官公庁や大学等でスカーフの着用が禁じられていることへの反発も高まった。

「解禁」は、その流れの中で国家が対応を迫られた結果であったようにも感じられる。

イスラム化」と騒がれたアヤソフィア・モスクの復活も、実のところは「国家の主権」に関わる問題であり、イスラム主義者に限らず、国家主義者の中にも復活への願望は見られたらしい。

これもトルコが国家として発展を遂げ、国際社会で力をつけて来たことにより、ようやく実現に至ったと見ても良いのではないだろうか?

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