メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコと日本の裏の顔?

この「『トルコの大統領選挙』果たして結果はどうなるだろう?」という駄文に、「日本のようにある程度均質な社会と異なり、トルコの社会は多様性に富んでいる」なんて書いたけれど、日本の社会の均質性とやらも一種の幻想ではないだろうか?

70年代ぐらいまでは「一億総中流」という言葉が満更でもなく聞こえたかもしれないが、その後、バブルの時代から失われた10年を経て、日本も相当に格差のある社会になってきたらしい。

今や中流と言っても「ピンからキリまで」で、その下に貧困層、その上に富裕層が形成されているような気もする。

しかし例えば、東京の山の手の良い地域で生まれ育った「中流」の人は、学校でも同程度の生活水準の友人たちと知り合い、社会に出てからもその状態が続けば、日本全国、何処でも同じようなものだろうと思ってしまうかもしれない。

30年ぐらい前、イスタンブールで安宿のドミトリーに泊まっていたバックパッカーの日本人青年が、日本では有り得ない経験をしているかのように話していたので、いつもの悪い癖で「東京でも山谷辺りに行けば、もっと劣悪な安宿もあるんじゃないですか?」などと嘴を挟んだら、その青年は「山谷というのは何処にあるんですか? 日本へ帰ったら是非行ってみたいので住所を書いてください」とメモ用紙を差し出して来た。

私は生まれ育ったのが東京の錦糸町で、高校生の頃にも、ぶらぶらと山谷の辺りまで歩いて行ったことがあるけれど、96~98年にかけて大阪の茨木に住んでいた時は、わざわざ西成の「あいりん地区」へ出かけたりしなかった。

「あいりん地区」のドヤ街を初めて訪れたのは2003年のことで、山谷を凌ぐ迫力に私は度肝を抜かれてしまったのである。

「一億総中流」が満更でもなかった70年代、山谷や「あいりん地区」は、おそらくもっと酷い状態だったに違いないが、さすがにこれは特殊な例と言えるのではないだろうか?

しかし、外国のジャーナリストが日本へ来て、山谷や「あいりん地区」等々を取材すれば、いくらでも「日本の裏の顔」を描き出すことが出来るはずだ。

逆に、日本のジャーナリストが外国で、同様の裏の顔を描き出すことも可能だから、私たちは良く考えてみなければならないと思う。

イスタンブールでも、以下の駄文でお伝えたしたチャルシャンバという街に出かけて見れば、あっと驚くようなイスラムに関する話を聞けるだろう。この街は特殊な教団の信徒が集まった極めて特殊な例と言える。日本の少し変わったカルト教団の人たちが集まっている所を想像してもらえれば良いかもしれない。