メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

歴史に「たら・れば」は無いが・・・

歴史に「たら・れば」は無いと言うけれど、もしも、2004年のキプロス国民投票で南側も統合を承認していたら、どうなっていただろう? 現在、シリアからリビアに至る東地中海の問題の中で、キャスティングボートを握っているのではないかとも言われ、ある程度の存在感を見せているトルコも全く蚊帳の外に置かれていただろう。
しかし、重荷になっていた北キプロスを手放すことによって、一時的には経済もさらに活況を呈し、EU加盟も夢ではなくなっていたかもしれない。その代わり、いわゆる「民主化」の過程で、南東部のクルド・アラブ地域も手放さなければならなくなっていたような気がする。
そして、グローバルなイスラム主義を標榜していたギュレン教団が、EUに取り込まれてしまったトルコで、熱心なイスラム教徒らにEU国民として生きる道を示し、脱宗教的な政教分離主義者のトルコ人たちも民族主義を棄て去り、左翼的なEU国民として生き残る道を選んだのだろうか?
ひょっとすると、こんな所が欧米の思い描いた最も理想的なシナリオだったのかもしれない。そのために、ギュレン教団を支援して、民主化を進めるAKP政権に理解を見せていたとも考えられる。
一方、トルコの軍や国家主義者の中にも、一定の民主化クルド語の解放といった改革は必要であるため、これをギュレン教団とAKPに任せて、反対派を抑えようとしていた人たちがいたのかもしれない。そもそも、ギュレン教団を抑え込んで、米国とやり合うだけの国力もなかった・・・。
その後、2013年にIMFの債務を完済した辺りから状況が変わって来たようだ。クルド人民衆とも和解の道筋がつき、なにより、ロシアが台頭したことによって、地域のパワーバランスに変化が生じた。
ギュレン教団を追及しているジャーナリストのネディム・シェネル氏は、「国家機構やAKPの中にギュレン教団が潜り込んでいたのではなく、ギュレン教団が支配するAKPの中にエルドアンが潜り込んでいたのだ」というように述べていたけれど、エルドアン大統領は、2013年頃からいよいよその愛国主義的な本性を見せ始めたと言えそうだ。
現在、大統領府の閣僚にAKP創立以来のメンバーは、エルドアン大統領とチャヴシュオール外相しか残っていないという。また、AKPの党幹部として重要な役割を担っているヌーマン・クルトゥルムシュ氏は、AKPの創立以前、故エルバカン師が率いたイスラム主義運動「ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)」の時代から、エルドアン大統領の盟友と言われて来た人物ではあるものの、AKPに加入したのは2012年以降のことである。これは、エルドアン大統領とギュレン教団の対立が明らかになった時期と符号しているような気もする。
いずれにせよ、「国土の不可分の統一」と「政教分離」を国是とする共和国を守るために、大統領と軍が一致している現在のトルコで、旧来のAKPと目されるギュル前大統領らが政治的な力を手にするとは考えられない。ギュレン教団に対する追及が弱まることもないと思う。