メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコを取り巻く状況はこの10年で何がどういう風に変わったのだろう?

現在、東地中海は海底ガス田の権益を巡って緊張が高まっているという。トルコ軍のリビア派兵等もこれと密接に関わっているようだが、関連するトルコの報道を詳細に調べるほどの時間的な余裕もない。

しかし、10年ほど前のトルコの状況を振り返ってみるだけでも、何がどういう風に変わってしまったのか、呆然とする思いに駆られてしまう。
AKP政権は、2002年の発足以来、EU加盟を目標に掲げて、その障害となるキプロス問題の解決に尽力していた。

そのためには、事実上トルコの支配下にある北キプロスを手放しても良いという姿勢だった。南北の分断が解消し、統合されたキプロスとしてEUに加盟することを望んでいたのである。
これは、2004年にキプロスで実施された国民投票で、南側(ギリシャ側)が統合を拒否したため、実現しなかったものの、その後もAKP政権は、少なくとも2013年頃まで同様の外交姿勢を保っていたと思う。
ところが、現在の状況はどうだろう? トルコ軍は「我々が血の代償で得た北キプロス」などと言い始めている。

おそらく、「EU加盟」なんていう御伽噺は既に何処かへ消え去ってしまったので、北キプロスを手放さなければならない理由はもう存在していないのかもしれない。

10年前にも、トルコ軍の中に「我々が血の代償で得た北キプロス」という声はあったはずだけれど、NATOの一員として欧米協調を重視する勢力が結構力を持っていたのだろう。その勢力にはギュレン教団系の影響もあったのではないか・・・。そして、AKP政権はギュレン教団の影響下に置かれていた・・・。
今思えば、10年前のトルコ経済の活況も、ギュレン教団とこれを支援していた米国のお陰だったような気がする。

2004年頃、トルコに投資された日本の事業家の方から、以下のような話を聞いた。
「米国がトルコ経済の安定を強く望んでいて、日本もトルコに投資するよう小泉政権へ圧力を加えている・・」
これが何処まで事実だったのか、今となっては確かめようもないが、当時も、トルコ経済の活況は海外からの投資に支えられているという説は様々な所で論じられていた。
果たして、それが米国からの圧力によるものだったとして、米国は何故、トルコ経済の活況を願ったりしたのだろう。

それは、ひょっとすると、トルコの経済を安定させてEUに加盟させる代わり、キプロスと南東部のクルド地域は手放してもらう、というものだったのだろうか?

こういった推測を重ねても余り意味はないけれど、長引く不況により、現在のエルドアン大統領の外交姿勢を批判する親欧米派の声が高まって来たのは確かだと思う。

AKPを離脱したアブドゥルラー・ギュル前大統領やアリ・ババジャン氏が親欧米であるのは明らかであるような気がする。ダウトオール元首相も「親欧米」に数えるのは間違っているように思えるが、元首相の提唱するクルド問題の平和的な解決も、今となっては欧米を喜ばせるだけになってしまうかもしれない。
長引く不況と言っても、これがトルコの実力に近いような気もするけれど、以前の活況を味わってしまった人々はなかなか納得できないようだ。

中には「ギュレン教団のお陰だったのなら、それでも良いじゃないか」と言う人がいたとしても、さほど奇妙なことではない。「クルドなんてアメリカにくれてやれば良いじゃないか」という声は、実際に私も聞いている。
しかし、南東部を手放したトルコ共和国は、そのうちイスタンブールも失ってしまいそうである。キプロスもそうだろう。ここは何とか踏ん張らなければならない一線であるかもしれない。

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