メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ギュレン教団の方たちとの思い出

トルコでも、イラクのIS支配地域モースルの奪回作戦が、大きな話題になっているのは言うまでもない。エルドアン大統領は、「我々も作戦に関与する」と相変わらず強気な発言を繰り返しているが、何処まで本気なのだろう? 国内向けのポーズであるような気もするけれど・・・。
昨日、この問題に関する討論番組を観ていたら、ある識者は、「古来より中東を大きく二つの地域に分けるならば、それはペルシャの領域とローマ(ルム)の領域である」と明らかにしながら、モースルはローマ領域に入るため、当然、トルコは何らかの形で関与しなければならないと論じていた。
また、いつだったか、イスタンブールで出会った、トルコ語に堪能なアメリカ人の研究者に、「霊廟でロウソクを灯すのは、ギリシャ文化に由来するものなのか?(イスラムは本来墓標を立てることすらしないそうだ)」という疑問をぶつけたところ、「この地域では、ペルシャの文化とギリシャの文化が絶えずせめぎ合って来たので、どちらに由来するものかはっきりしない」というように説明して、トルコの文化については全く言及しなかったので驚いた。
けれども、上記のように、中東の歴史をペルシャ領域とローマ(東ローマ=ギリシャ)領域の相克として捉える識者は、トルコにも少なくないらしい。オスマン帝国を東ローマの後継者と見做せば、それほど奇妙でもないのだろう。
しかし、現在の中東情勢は、何だかアメリカとロシアのせめぎ合いみたいになってしまっている。ペルシャ(イラン)もローマ(トルコ)も主役とは言い難いような気がする。
それどころか、2013年以来のトルコの苦悩を見ていると、「トルコはどのくらいアメリカから独立していたのか?」という疑問まで浮かんで来てしまう。
もっとも、そんなこと言ったら、トルコの人たちも、「日本はアメリカから独立しているのか?」と言い返して来るに違いない。
2003年8月のザマン紙の記事で、イブラヒム・オズテュルク氏は、アメリカの影響下にある日本とトルコを論じて、最後にこう記している。
「・・・未だ自身の運命を自分でつかむことができないでいるトルコと日本が、お互いを発見し合って恒久的なパートナーとなることを期待するのは、時期尚早である。時間と距離が意味をなさなくなった現代で、いまだに米国のとりなしによる近隣関係は、この程度に違いない」(拙訳)

イブラヒム・オズテュルク氏は、おそらくギュレン教団の関係者ではないかと思われるものの、教団の排除が始まる前に、預言者ムハンマドに対して不敬な発言があったなどと取り沙汰されて、ザマン紙から遠ざけられて以来、何処で何をされているのか解らない。
もともと経済を専門にされていたはずだが、上記の記事で見られるように、政治情勢の分析にも、なかなか鋭いものを感じて、私も良くそのコラム記事を読んでいた。
私は、このオズテュルク氏に一度だけお目にかかったことがある。2006年だったと思う。
イスタンブールで、歴史学者山内昌之氏他2名による講演会があり、自由参加だったので喜んで会場へ出かけたところ、ギュレン教団が日本で運営している学校の責任者だったレジェップ・オズカンさんも来ていて、再会を喜び合った。
そこで、オズカンさんからオズテュルク氏を紹介されたのである。
私は、山内昌之氏の著作も何冊か読んで感銘を受けていたので、あの日のことは何だかとても良く覚えている。
山内昌之氏の講演は「トルコ・イスラエルアメリカ・平和の弧」というものだった。トルコ・イスラエルアメリカの3国が連帯することによって平和が得られるという趣旨である。
残念ながら、山内昌之氏とはお話しする機会もなかったが、オズテュルク氏からは後にメールまで頂戴して忘れ難い思い出となった。
それから間もなくして、オズカンさんとヒラリー・クリントンが壇上に並び立っている写真を、トルコの新聞の一面で見た時も嬉しかった。全く関係ないのに、自分まで誇らしくなってしまった。
以来、オズカンさんには会っていないが、どうされているだろう? もちろん、ギュレン教団の中でかなり地位の高いメンバーであり、単独でヒラリー・クリントンに50万~100万ドル相当の献金を行った人物として糾弾されているため、トルコへは戻って来られないと思う。
とても紳士的な人で、最初に会った時から私に強い印象を残した。5分も話せば、その優秀で誠実な人柄が自然に伝わってくるような人だった。私としては、オズカンさんが、クーデター等の血生臭い事件には関与していなかったことを祈るばかりである。