(8月26日)
今日(8月26日)のヒュリエト紙のコラムでイスメット・ベルカン氏は、ギュレン教団の海外における活動を封じ込めるため、より迅速に対策を講じなければならないと論じている。
例えば、非常に親トルコ的な友好国と言える北イラク・クルド自治政府でさえ、AKP政権の再三の要請にも拘わらず、ギュレン教団の学校を未だに閉鎖していない。
自治政府にとって、ギュレン教団の学校は最も重要な充実した教育機関であり、トルコ政府が運営を引き継いでくれるならともかく、直ぐ閉鎖には踏み切れないそうである。
ベルカン氏によると、ギュレン教団が教育活動を行っている多くの発展途上国に、同様の問題が見られるらしい。そのため、ベルカン氏は、政府が早急に代わりの教員を派遣するなどして、運営を引き継ぐべきであると主張している。
しかし、ベルカン氏もその難しさを指摘しているように、世界各国に存在している学校の運営を政府が肩代わりするのは容易なことじゃないと思われる。
ロバート・アムステルダム氏の報告によれば、アメリカの学校で働く教団のメンバーは、給与の半分を教団に納めているという。こうしてアメリカの公的な援助金の一部は、教団に流れてしまっているようだが、発展途上国の場合、教団のメンバーは、ほぼボランティア的に働いているのだろう。
これを政府が派遣する教員たちに望むのは無理かもしれない。しかも、教員の質は、教団のメンバー並みに高くなければならない。そして、教団の学校は、世界170ヶ国に存在するとも言われているのだ。
これを全てトルコ政府の予算で賄うのは、やはり相当困難であるような気がする。
2007年11月のラディカル紙のコラムで、ヌライ・メルト氏は、「フェトフッラー・ギュレンの活動は、穏健なイスラムサイドの一要素として(欧米から)支援されたのだろう。さもなければ、世界中に学校を開いたりして活動することは、一介の民間団体が単独で成し得ることだろうか?」と問い質している。
もちろん、2012年までは、AKP政権も教団の活動を支援していたわけだが、経済的な支援の多くは欧米から得ていたと見ても良いのではないだろうか?
また、海外における教団の活動は、教育のエリアだけにとどまらない。メディアにも浸透して、これを有効に利用してきたはずである。
日本でも、2002~2012年にかけて、トルコの広報を一手に引き受けていたのはギュレン教団だったと言っても過言ではないと思う。私もトルコの友人たちに、「日本におけるギュレン教団の広報は素晴らしい」なんて説明しながら喜んでいた。
あの頃は、トルコを称賛する本が多く出版され、トルコの楽しさ美しさを紹介するテレビ番組も少なくなかった。それが今や一斉にトルコを非難する論調に変わっている。これは実に悲しい現状である。
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昨日(8月25日)、東部のアルトゥヴィン県で、CHPのクルチダルオウル党首の一行が襲撃され、警護の憲兵隊員1名が殉職するという事件があった。PKKの犯行と見られているが、未だ背景は明らかになっていない。
トルコのメディアでは、事件後に見せたクルチダルオウル党首の毅然とした態度が話題になっている。エルドアン大統領からの電話に穏やかな口調で応じるクルチダルオウル党首の姿も映し出されていたが、これも両氏の友好的な関係を示すものとして好評である。