メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

大団円で幕を下ろした「行進」

第一野党CHPのクルチダルオウル党首らが、「公正」を掲げて、アンカラから歩き始めた「行進」は、9日、イスタンブールのマルテペ広場で多くの群衆に迎えられて幕を下ろした。
途中、事故や騒乱もなく、平和な雰囲気が維持されたことを与野双方の識者らが評価しているようだ。
また、これまで与党AKPを支持してきた識者の中からも、平和な「行進」を実現したクルチダルオウル党首を評価する声が高まっている。「10年前と比べたら、まるでAKPとCHPの立場が逆転した」と述懐する識者も少なくない。
10年前、野党とは言いながら、「体制」の守護者を自任して、AKPを政権から引きずり下ろすために、軍部の介入まで期待していたCHPが、今や「体制」の批判者となり、この「体制」に対して民主化の旗印を掲げていたはずのAKPは、「体制」を守る立場に回ってしまったと言うのである。
例えば、「行進」の期間中、インタビューに答えたイルケル・バシュブー元参謀総長は、ギュレン教団の策謀を追及する司法を高く評価して、裁判の過程で多少の過ちがあったとしても、それを殊更大きく取り上げるべきではないと語り、CHPを支持する識者から猛反発を受けていた。
かつて、軍部の中には、CHPを支持する将校が多かったそうである。何故なら、CHPも軍部と同様、政教分離の守護者をもって任じるアタテュルク主義者だった・・・。
しかし、現在の軍部は、ペリンチェク派(アタテュルク主義の左派)・テュルケシュ派(トルコ民族主義的なアタテュルク主義者・MHP支持派)、そしてギュレン教団の残党に三分されているのではないかという説もある。(エルドアン大統領とAKPを積極的に支持している将校は1%にも満たないらしい)
実際、ドウ・ペリンチェク氏もMHPのバフチェリ党首も、クルチダルオウル党首らの「行進」が、ギュレン教団を利する行為になるとして、激しく非難していた。
確かに、様々な機構や関係者の立場は、この10年で大きく変わってしまったように思える。
軍部の影響力が排除される民主化を望んでいた識者の多くは、当然、軍部と協力し合うAKPに失望しているだろう。とはいえ、ギュレン教団の脅威が完全に取り払われたわけじゃないから、なかなか難しいところであるかもしれない。
現状、AKPとMHP、そして軍部は、ギュレン教団の策謀から「国家の利益」を守るという観点では、一致協力しているのではないか?
そして、AKPを支持する大多数の民衆も「国家の利益」には敏感であるような気がする。国益が損なわれた場合、真っ先につけを払わせられるのは、低所得者層の人々であるからだ。
また、トルコには、元来“尚武の気性”があって、民衆の軍部に対する信頼もそれほど失われてはいないらしい。

9日、クルチダルオウル党首をマルテペ広場に迎えた群衆には、中流以上の高学歴者が多かったと言われている。
果たして「7月15日クーデター事件」の記念日となる15日には、どのくらいの群衆が、エルドアン大統領やアカル参謀総長に歓呼するのだろう?