メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

分割とイスラム化の脅威

90年代のトルコでは、分割とイスラム化の脅威が叫ばれていた。イスラム化を目論んでいると見做された政党は、司法の介入によって解党されても、軍事介入で政権の座から引きずり降ろされても、それは致し方ないことだった。
クルドの言語と文化の解放を要求する人々も、トルコの分割を目論む欧米の手先と見做され、彼らに対する弾圧は、これまた致し方なかった。
EU加盟を目標に謳ってはいたものの、分割の脅威がなくならない限り、その条件に合わせてしまうのは危ういと思われていた。「トルコは四方を敵に囲まれている」などと言い、孤立主義を主張する知識人も少なからず見受けられた。
そもそも、80年代、オザル政権が経済開放に踏み切るまで、トルコでは、50年間に亘って外貨の所有が禁じられていたそうである。そのため、人々は、「金」を購入して財産の保持に努めていたという。
しかし、2002年、イスラム主義の政党と言われていたAKPが単独で政権に就くと、「分割とイスラム化の脅威」に大きな変化が見られるようになる。
AKP政権は、EU加盟の目標を高々と掲げ、条件の整備にも前向きな姿勢を見せて、2006年には加盟交渉権を得る。翌2007年の国政選挙でAKPは、欧米との協調や市場経済の重要性を訴えて、これに強く反対するCHPを退けた。
クルド人らの要求も少しずつ受け入れが進み、2013年の10月には、私立学校でクルド語による教育を可能にする法改正が成し遂げられる。「分割とイスラム化の脅威」は既に消え去ったのではないかと思われた。
ところが、2014年になって、シリアの内戦が激化し、ISがその支配地域を拡大させると共に、トルコを取り巻く状況は悪化の一途を辿り、再び「分割の危機」を叫ぶ声が高まって来た。
「ISの跳梁跋扈はアメリカが仕掛けた」とか「トルコの分割を狙うEU各国が、PKK~PYDのクルド勢力を支援している」といった様々な“陰謀論”が飛び交い、「トルコは四方を敵に囲まれている」状態に戻ってしまったかのようだ。
これでは、90年代に、国家主義的な人たちが唱えていた「分割とイスラム化の脅威」は、全て正しかったということになってしまいそうである。
現在、AKPを「イスラム主義の政党」と未だに思っているのは、ごく限られたラディカルな少数派に過ぎないが、「イスラム化の脅威」はギュレン教団という別の形で現れたと言えるかもしれない。
かつて、エルドアン首相は、EUを信頼して加盟交渉を進め、アメリカにも友好的な態度で接し、クルド勢力の運動家とは親密な関係を築いていたけれど、今やその全てが行き詰まっている。
『だから言わんこっちゃない。あれほど、みんな敵だと注意したのに・・』と内心せせら笑っている反対派もいるだろう。
州制度に言及した、当時のエルドアン首相の構想は、非常に大きなものだったと思うけれど、それが小さく縮まって、権限ばかり大きい「大統領制」が議論されているような現状である。
危機的な状況を突破するためにも、権限はなるべく大統領に集中させた方が良いと考えている識者も少なくないようだ。必要なのは緊急処置であり、大きな構想について語っていられる場合ではないということだろうか。
先日、エルドアン大統領は、多分、例の目くらまし的な爆弾発言で、「外貨の影響を受けない金本位制に戻そう」なんてぶち上げていた。外貨の所有を禁じていた時代の国家主義者が聞いたら、泣いて喜びそうな気もする。