メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

歴史の闇

 トルコでは、90年代、国家憲兵(ジャンダルマ)によって作られた「JITEM」という組織が、PKKの掃討を掲げて、PKKとの関連を疑われたクルド人らを、非合法的な処置で、次々に暗殺していたのではないかと半ば公然と囁かれている。
当時は、軍を始めとする国家体制の主流が、「脱イスラム的な政教分離主義」と「トルコはトルコ人による単一民族国家である」といった思想に固執していた為、クルド人の存在すら認めようとしない国家と、分離独立を主張するPKK側クルド人との間には、政治的な解決はおろか、対話の糸口さえ全く見つからない状態だった。
その後、2002年にAKP政権が誕生した頃から、国家の硬直した思想に少しずつ変化が見られ始める。軍の内部でも、イスラム的な保守層の現実、そして民族的な多様性を認める人たちが、徐々に多くなって来たのではないかと論じられている。
そして、2008年には、イスラム的なAKP政権の転覆を図ったという旧主流派の軍高官らが続々と逮捕される。この「エルゲネコン裁判」では、いよいよ軍の影響力が失墜したと考えられて、民主化への期待も高まる。
民主化が進み、「エルゲネコン裁判」に続いて、クルド人暗殺に関わった「JITEM」も裁かれるに違いないと思われた。ところが、残念ながら、そうはならなかった。
2014年以降、AKP政権が、国家機構内に巣食ったギュレン系組織の一掃に乗り出すと、「エルゲネコン裁判」を主導したギュレン系の司法関係者も排除され、再審によって軍高官らは無罪となり、「JITEM」の追及もうやむやになりそうな気配を見せている。
しかし、ギュレン教団は、国家を背後で操る為に、軍の弱体化を狙っていたと言われている。「エルゲネコン裁判」は、そもそも余り純粋な民主化の動きではなかったらしい。
PKKを支持していた民族主義的なクルド人は、これに酷く失望している。彼らはAKPに期待して裏切られたように思っているかもしれない。そのため、PKKを見限ったとしても、AKPに鞍替えすることは有り得ないという。
一方、AKP政権は、PKKを排除するためにも、軍との協力関係を維持しなければならない。軍も、イスラム的な保守層の現実を認めて、おそらくこの点ではAKP政権に理解を示している。そして、民族問題でも、既にクルド人の存在を否定したりはしていない。なにより、長期的には、軍もトルコの民主化を望んでいるはずだ。
しかし、政権内部でも、クルド側の要求を何処まで認めるかについては、統一見解が得られていないような気がする。これは軍においても同様だろう。
エルドアン大統領とレイラ・ザナ氏の会談は、大統領が「自分としては会談実現の方に傾いている」と明らかにしていたにも拘わらず、結局、実現しなかった。大統領の発言を受け、会談の前提として掲げたザナ氏の要求が認められなかったという。

PKKが、外国勢力と連携しながら、トルコの国土分割を狙っているのは、ほぼ間違いないと思われる。エルドアン大統領、AKP、そして軍も、これを断固阻止するという決意では一致しているに違いない。PKKの排除が進まなければ、過去に遡って「JITEM」を追及するといった余裕は、今のところないようである。
将来的にも、歴史の闇として残ってしまう可能性はあるかもしれない。トルコの人たちも、その多くは「玉虫色決着」にそれほど不愉快を感じないのではないか。事を荒立てるのを避けようとするし、白黒つけるといった極端なことも余り好きではなさそうだ。
もちろん、ラディカルなクルド民族主義者はこれを認めないだろう。また、反エルドアン・反AKPの左派知識人の大半は、これに限らず、ありとあらゆる「玉虫色決着」を嫌がる。
ところで、現在、反エルドアンを唱えて、誹謗中傷に躍起となっている人たちを見ると、旧来の硬直した国家思想に捉われたまま、エルドアンに怒りをぶちまけているだけの旧体制派も少なくない。彼らは何を騒いでも、無視されるだけではないだろうか。
しかし、一部の反エルドアンのリベラル派知識人は、「エルゲネコン裁判」と「JITEM」の追及まで、当時のエルドアン首相とAKPを支持していた。この人たちは、軍や体制への批判でも、首尾一貫していて、無視し難い存在である。実際、無視できないから、逮捕するのかもしれない。
例えば、先日、国家機密漏洩等の罪で終身刑を求められたジャン・デュンダル氏は、以前から政治的な意図によって歪曲・誇張された記事を書くことも多かったらしいが、2008年にはアタテュルクの個人崇拝へ一石を投じる映画を制作するなど、一貫して体制を批判し続けて来た。(その英雄的な姿勢も批判されているけれど・・・)
それにしても、終身刑とは酷すぎる。こんなものは一種の政治的なショーで、気が付いたら、これも玉虫色で終わっているのではないかと思う。また、そう祈りたい。

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