メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

国家の敵

90年代、トルコで最も危険な“国家の敵”と言えば、“ボルジュ(分離主義者)”と“ミュルテジ(保守反動主義者)”だった。
“ボルジュ(分離主義者)”は、トルコからの分離独立を企てるクルド人勢力などであり、オジャラン氏が率いるPKKは、実際に武力闘争を繰り広げていた。
“ミュルテジ(保守反動主義者)”は、アタテュルクの革命に反対するイスラム主義者たちであり、その代表的な存在が“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”の指導者エルバカン氏とされていた。この人たちは、特に治安を乱す活動などしていなかったが、共和国の体制を転覆させて、イスラム法による統治を目論んでいるのではないかと言われていた。
そして、エルバカン氏の率いる福祉党(RP)が、95年の選挙で第一党となり、96年、正道党(DYP)と連立政権を成立させて、エルバカン氏が首相の座に就くと、翌97年、軍部は公然と圧力をかけて、この“国家の敵”を政権から引き摺り下ろしてしまった。
さらに、実のところは、共産主義者も軍部から“国家の敵”と看做されていたようだ。80年の軍事クーデターで、もっとも過酷な迫害を受けたのは共産主義者だったらしい。しかし、共産主義者の多くはアタテュルク主義者でもあるため、さすがにアタテュルク主義者を“国家の敵”と言うわけには行かなかったのかもしれない。
その後、2002年、“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”の保守反動主義者らを中心に結党されたAKPが選挙に大勝、単独で政権に就いてから、既に12年が過ぎようとしている。女性のスカーフが解禁されたり、イスラム的な行事が盛んになったり、確かにイスラム色は濃くなったけれど、そのイスラムも随分モダンになってきて、人々はかなり多様化したように思える。
トルコはとっくに、“イスラム法による統治”など全く不可能な社会になっていたのではないか。軍部の主流派も、既にAKPを“国家の敵”とは全く思っていないだろう。
大統領選挙に出馬したエルドアン首相は、先日、黒海地方のサムスンでミーティングを行なった。まずサムスンに上陸して救国戦線を主導したアタテュルクに準えたらしい。政権に就く前、AKPのメンバーや支持者たちの中には、アタテュルクや共和国の体制そのものを批判する人が少なくなかったけれど、今や彼らも“アタテュルク主義者”になってしまったかのようだ。
今回の大統領選挙では、一方のもっと危険な“国家の敵”だった“ボルジュ(分離主義者)”のクルド人勢力を代表していた元BDP(平和民主党)のデミルタシュ党首も立候補している。
PKKと密接な関係にあったBDP(平和民主党)は、今年になってから、南東部のクルド人だけを対象にする地域政党ではなく、トルコ共和国全体の左派政党を目指すとして、HDP(人民の民主党)に組織再編し、再びデミルタシュ氏が党首に就いている。
デミルタシュ氏は、トルコ人の左派からも票を取りに行くと語っているけれど、第一野党の左派CHP(共和人民党)が、右派のMHP(民族主義行動党)と共に擁立したイフサンオウル候補は、非常にイスラム色の強い人物であり、CHPの内部からも既に反発の声が出ているため、一部の票がデミルタシュ氏へ回るのではないかという憶測も囁かれている。
もちろん、今回の選挙でデミルタシュ氏が勝つ可能性は全く無い。得票率8%ぐらいでも御の字らしい。しかし、「CHPがこのまま迷走を続ければ、HDPが左派の代表政党なっても不思議はない」などと言う識者もいる。さて、どうなるだろう? デミルタシュ氏は未だ41歳と若い。今は無理でも、10年後に期待できるかもしれない。
元“ミュルテジ(保守反動主義者)”のエルドアン氏が首相の座についたら、アタテュルクに賛辞を送るようになったのだから、元“ボルジュ(分離主義者)”のデミルタシュ氏も大統領になったら、「アタテュルク万歳!」とか言い出すかもしれない。そうなれば、“国家の敵”は完全に消滅、トルコ共和国もとこしえに安泰ということになるのだが・・・。