メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのNATO離脱?

スポーツの世界では、ボクシングのようにお互いの身体を痛めつけ合う競技であっても、試合が終われば健闘を称え合って抱擁を交わしたりする。

 そういった経験のない私には解り難いけれど、人は死闘を繰り広げることで友情に近い気持ちを懐けるようになるのだろうか?

 それどころか、本当に相手と殺し合う決闘や戦争でも同様の心理が芽生えてしまうものらしい。こちらはもっと解り難いが、小説や映画の中には良く取り上げられたりしている。

 最近観た映画では、「硫黄島からの手紙」に、敗れた日本の軍人に対するアメリカの人たちの敬意を感じた。もちろん、そこには勝者の余裕があるかもしれないけれど、子供の頃に観た映画「アラモ」は、メキシコ軍の攻撃に全滅してしまう要塞の部隊を描いている。アメリカにも「滅びの美学」みたいなものがあるようだ。

 勝者のメキシコ軍は、全滅した要塞に残っていた婦女子を丁重に扱い、最敬礼をもって送り出す。おぼろげな記憶だが、最敬礼のシーンはとても印象に残っている。

 トルコでは、第一次世界大戦中、英仏連合軍によるガリポリ半島上陸作戦を阻止したオスマン帝国軍ムスタファ・ケマル・パシャが、後にトルコ共和国初代大統領アタテュルクとなり、戦死した敵軍兵士らの勇気を称え慰霊した言葉が有名である。

 アタテュルクを始めとするトルコの軍人たちは、自国を侵略しに来た敵軍の兵士らに対しても敬意を忘れなかった・・・。これは美談として、今でもトルコの人々の間に語り継がれている。

 上述したように、西欧の人たちも、こういった軍人精神をやたらに尊重するらしい。そのため、西欧は裏で分割を画策しながらも、トルコの国家、軍に対して一定の敬意を疎かにして来なかったという。

 建国の父アタテュルクが元軍人であり、その後も軍が国家の主権者のように振舞い続けたのは、西欧にとってそれほど不都合なことではなかったかもしれない。

 西欧にも、職業軍人出身の首相・大統領は決して少なくなかった。私の僅かな知識で、ちょっと考えてみただけでも、ド・ゴールチャーチルアイゼンハワーなどを思い浮かべることができる。

 (意外にソビエト~ロシアは、諜報機関員出身の現プーチン大統領がそれに近いだけで、他に見当たらないような気がする。スターリン職業軍人とは言えないはずだ。何故だろう?)

 トルコの大統領で、職業軍人の出身はケナン・エヴレン大統領(1982~1989年)が最後である。そのエヴレン大統領も、晩年は1980年のクーデターの責任を追及され、終身刑の判決が下される中、寂しくこの世を去った。

 あの判決が下された2015年、トルコで軍の権威は失墜したかのように言われていた。しかし、現状を見たら、2017年のクーデター事件にも拘わらず、軍は見事に復権してしまったのではないか?

 元参謀長官のフルスィ・アカル氏は国防大臣となって、その政治活動や演説の模様が頻繁にメディアで紹介されている。これほど注目を集めた元参謀長官は、ケナン・エヴレン氏以来じゃないかと思う。

 トルコは、この20年ぐらいの間に、政教分離の危機であるとかイスラム化であるとか様々に思想的な対立が論じられて揺れに揺れた。おそらく、軍の内部にも様々な葛藤があったに違いない。

 現在、軍高官のイスラム的な発言を捉えて、軍のイスラム化まで論じる人たちが未だいるようだけれど、それはシリア国境付近に展開している兵士らのモチベーションを高めるためであって、実際は軍においても脱イデオロギーの現実重視が強くなってきたように思えてならない。

 なにしろ、軍に信奉者が多いとされる左派イデオローグのドウ・ペリンチェク氏もAKPとエルドアン大統領を支持する発言を躊躇わなくなっているのである。国難に際して、軍の急務は国土を死守することであり、イデオロギーなど論じている場合ではないということかもしれない。

 一方のエルドアン大統領も、もともと「特定のイデオロギーを持たないリアリスト」と言われていたくらいで、軍と協調する姿勢は驚くに当たらないような気がする。エルドアン大統領には、おそらくイスラム主義というイデオロギーもなかっただろう。

 トルコ共和国は、今も昔も政教分離の民主主義を標榜する国家であり、この現実を無視した議論は全て徒労に終わってしまうのではないか?(私もその議論を追いながら徒労を重ねてしまった・・・)

 80年代以降、トルコでは産業化とそれに伴う都市化が急速に進み、農村の保守的でイスラム的な人々が大都市へ移住したため、イスラム的な雰囲気が目立ち始めたものの、都市で生まれた今の若者たちは多様化して、イスラム的な雰囲気にも変化が見られるようになった・・・。イスラム主義や政教分離主義といったイデオロギーは後退し、トルコの人たちは一層現実的に、さらなる発展を目指して働いている・・・。

 要するに、先進国と呼ばれる国々の多くが経て来た変遷を辿っているだけで、取り立てて論じなければならないようなことは起きていなかったのではないかと思う。(先進国の韓国で、未だにイデオロギーが蔓延っているのは不可解だけれど・・・)

 しかし、その過程で分割の危機という国難を迎えてしまったのは、他の国々には余り見られなかった事態であり、ナショナリズムの高揚や軍の復権もここに関わっているだろう。

 だからと言って、ナショナリズムの高揚が「NATO離脱」といった事態を招いてしまう恐れはなさそうだ。先日、カラル紙のメンスル・アクギュン氏は、そのコラムで「NATO離脱」を否定して、「NATOは今でも最強の軍事同盟である」と論じていた。トルコの人たちはあくまでも現実的である。

 軍の復権と共に、軍人精神も再び尊重されるようになったトルコは、かつて死闘を繰り広げた「戦友」として、NATOの中で確固たる位置を占めるようになるかもしれない。

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