メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン大統領とトランプ大統領の会談/ トルコ語のラテン文字化

エルドアン大統領とトランプ大統領の会談は、特に成果もなかったけれど、とにかく米国との関係が維持されたことでトルコ側は満足しているようだ。 

サバー紙のメフメット・バルラス氏は、トランプ政権も、来年の選挙を乗り切るまでは、思い切った手が打てないだろうから、それまで辛抱強く待つよりないと論じていた。 

トランプ大統領が、中東から手を引くと公約に掲げ、紆余曲折を経て、その実現に努めている姿勢がトルコでは評価されている。 

米国は冷戦終結後に一極支配を目論み、「大中東プロジェクト」もその一環だったらしいが、そもそも一極支配には無理があったのではないだろうか? 

それを「投資してしまったから無理にでも」というのは、やはり間違いの始まりであるような気がする。

相変わらずトルコへの逆風は凄まじい。しかし、西欧でもトルコに理解を示す人は着実に増えてきているそうだ。これが却って、反トルコの論調を激しくさせているのかもしれない。 

エルドアン大統領を「鳴かぬなら・・・」というホトトギスの説話に例えるなら、おそらく「鳴くまで待とう」の家康だろう。決して「殺してしまえ」の信長じゃない。

この辺りは大分誤解されている。エルドアン大統領は逆風が収まるのを辛抱強く待つのではないかと思う。 

ところで、今日、トルコ各紙のコラムを拾い読みしていたら、「ラテン文字への変革は正しかった」という保守の論客の主張が目に留まった。またぞろ、そんな議論が繰り返されているらしい。 

興味深かったのは、その記事の中で、オスマン帝国の皇帝アブデュルハミト2世トルコ語ラテン文字化を考えていたと明らかにされている所である。 

かつては、ラテン文字化が共和国の革命的な事業であるかのように語られていた。もちろん、ラテン文字化を実現したのはアタテュルクの共和国に違いないが、オスマン帝国の時代からラテン文字化への動きはかなり広範に見られたようだ。 

イスラム的と思われているAKPのヌーマン・クルトゥルムシュ氏の祖父がアタテュルクの同僚で、「オスマン帝国時代に、初めてラテン文字によるイスラムの教科書を著した」なんて話に私は驚いたりしていたけれど、トルコの歴史に関する無知をさらけ出していただけかもしれない。