メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「主題が祖国であれば残りは瑣末な事柄である!」(アタテュルク)

アタテュルクの言葉に「Söz konusu vatansa gerisi teferruattır.(主題が祖国であれば残りは瑣末な事柄である)」という有名な一節がある。

アタテュルクは祖国を守るため、ラディカルな西欧主義者やイスラム主義者とも手を組んだらしい。カラル紙のイブラヒム・キラス氏の記事で読んだのではなかったかと思うが(ちょっと怪しい)、救国戦線でアタテュルクに協力したあるイスラム指導者は、共和国発足後、欧化政策が進められても、アタテュルク存命中は異議を唱えなかったそうだ。アタテュルクには義理を感じていたため遠慮していたのではないかという。

アタテュルクは極端な欧化主義者でもなければ、伝統に固執する保守主義者でもなかったのだろう。強いて言えば「祖国愛主義者」だったのかもしれない。

ところで、アタテュルクにとって「祖国」とは何だったのか? チャナッカレ戦争で、当時のムスタファ・ケマル大佐(後のアタテュルク)が自ら最前線に立って守ろうとしたのは「オスマン帝国」だったはずだが、皇帝が帝国の大半を失うセーヴル条約に調印すると、オスマン帝国を見限り新政権の樹立へと向かう。

現在では、アタテュルク(トルコ人の父を意味する尊称)が守ったのは「トルコ人の祖国」ということになっているようだけれど、その「トルコ人」という定義は今でも明確になっているとは言い難い。以下に御紹介した「民族と国家」を読むと、共和国の当初は、アタテュルクも守る対象を「イスラムの共同体」であると述べたことがあったという。

クルド民族問題等の議論を経て、最近は「オスマン帝国の『イスラム教徒』が共和国以降の『トルコ人』になった」という理解がかなり広まってきたように思えるものの、その反動で「トルコ人は全て中央アジアからやってきた!」という説を叫ぶ声も高くなっている。

そして、エルドアン大統領が「新憲法」について発言したため、新憲法で国民の定義はどうなるのかが取り沙汰されているけれど、おそらくそれほど革新的なものにはならないような気がする。そもそもエルドアン大統領の発言は、野党勢力が国民の定義から「トルコ人」を外した新憲法草案を準備しているのではないかという論争があって、これを牽制するためのものだったらしい。

また、エルドアン政権を支えているのはトルコ民族主義のMHPであり、左派アタテュルク主義者のドウ・ペリンチェク氏からも支援を受けている現状を見れば、新憲法から「トルコ人」を外す構想があるとは思えない。しかし、「トルコ人」の定義には思い切った改革が試みられるかもしれない。

とはいえ僅か10年前と比べても、当時のエルドアン首相と野党の立場が逆転しているのは実に興味深い。エルドアン首相は「クルド和平プロセス」を進める過程で、「トルコ人ではなく『トルコに住む人』と言おう」などと提唱して、野党勢力の批判にさらされていたのである。

それにしても、イスラム主義者と見做されていたエルドアン氏と共産主義を標榜していた極左のドウ・ペリンチェク氏が共闘を組むことになろうとは、10年前にいったい誰が想像しただろう?

これがまさしく「主題が祖国であれば残りは瑣末な事柄である」ということなのかもしれない。もちろんエルドアン氏もペリンチェク氏も、イスラム共産主義を「瑣末な事柄である」とは絶対に言わないはずだが、まずは祖国の統一を守ることで一致しているのは確かなようである。

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