メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの最も愛国的な組織

死を覚悟して戦地へ赴く軍人の心理がいったいどういうものであるのか私には想像もつかないが、やはり合理的には考えられない激しい熱情に駆られているのではないだろうか? 

そして、その熱情を宗教的な信心であるとか、民族主義的なイデオロギーが支えているのではないかと思う。 

一方で、軍という組織には、事態を合理的に判断して、最小の損害で利益を追求できる現実的な思考が求められているような気がする。 

例えば、アタテュルクを始めとするオスマン帝国末期の軍人たちが西欧に倣った近代化を考えたのも、西欧との国力の差という現実を見極めていたからに違いない。 

しかし、救国戦争を戦うためには、保守的な地方の現実を理解して、宗教的な熱情にも必要性を感じていただろう。 

それが共和国の成立以降、軍は政教分離主義の守護者となり、西欧化や民族主義的なイデオロギーの権化のように言われて来たけれど、実際はトルコの現実を良く見ていたかもしれない。 

オスマン帝国を完全に否定して、極端な西欧化や脱イスラム的なイデオロギーを担っていたのは、やはり言論等の分野ではなかったかと思う。なにしろ、オスマン帝国の軍楽隊メフテルの伝統を守って来たのは他ならぬトルコ軍だったのである。 

軍にはクルド人の多い地域から徴兵されてくる若者も多かったため、その扱いにも気を使っていたらしい。10年ぐらい前だったと思うが、兵役を済ませた友人は、「部隊の中でクルド人を揶揄するようなこと言ったら厳しく罰せられる」と話していた。 

また、1980年の軍事クーデターで激しく弾圧されたのは、宗教勢力ではなく左翼的な言論だったという。軍に信奉者が多いとされるドウ・ペリンチェク氏も8年の刑を受けている。 

2002年にAKP政権が成立した際も、少なからぬ軍高官らがその現実を認めていたため、クーデターといった事態には至らなかったのではないか? 

2002年の国政選挙でAKPの得票率は僅か34%に過ぎなかった。ところが、議席を確保するために必要な10%の枠を越えられなかった政党が続出したお陰で、AKPは議会の過半数を押さえてしまったのである。 

あの選挙では、アメリカがギュレン教団を介して親米的な政権を作るために画策したという「陰謀論」も囁かれていたけれど、翌2003年の3月には、イラクを攻撃するアメリカ軍の国内通過是非を問う議会票決が否決されて、AKPの親米的な姿勢には疑問符がついてしまった。 

その後、CHPの元党首デニズ・バイカル氏とエルドアン氏が、票決の前に密談していた事実をバイカル氏が明らかにしている。選挙に「陰謀」があったとすれば、これを反故にした両氏に対するアメリカの怒りは大きかったはずである。 

トルコ軍がこういった経緯を把握していなかったとは到底考えられない。ギュレン教団の動きもある程度察知していたのではないだろうか? そのうえで、ギュレン教団とその背後にいるアメリカとの関係をどうすべきかといった対立が軍の内部にも見られたかもしれない。ギュレン教団が主導して軍高官らを拘束したと言われる「エルゲネコン事件」で軍が動かなかった(あるいは動けなかった?)理由もその辺にあったような気がする。 

歴史の闇として残ってしまうような事柄をあれこれ詮索してもしょうがないけれど、アタテュルクの意志を引き継ぐ最も愛国的な組織がトルコ軍であるのは間違いないと思う。 

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