メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ大地震/ナーズム・ヒクメット文化センターの共産主義者

トルコ南東部の大地震で倒壊した脆弱な建築物に関しては、共産主義者ドウ・ペリンチェク氏の傘下にあるアイドゥンルック紙からも厳しく批判する声が出ている。

しかし、現在、反エルドアンの野党連合を「米国の傀儡」と非難し、エルドアン政権に対して一定の支持を明らかにしているアイドゥンルック紙の識者らは、「脆弱な建築物」の出発点を、エルドアン政権が発足した2000年代以降ではなく、オザル政権による改革開放政策が始まった1980年代に定めているところが、野党連合サイドの見解とは異なっているように思える。

アタテュルクが目指した「エタティズム(国家資本主義)」を放棄して、民営化や外資の導入を促進させたオザル政権こそが現在に至る問題の元凶であると彼らは見ているらしい。

しかし、エルドアン政権も当初は、オザル氏の死後に停滞していた民営化・外資の導入を再び促進させる親欧米の政権と見られていた。これには政権を支えていたギュレン教団の影響もあっただろう。ドウ・ペリンチェク氏らは、当時からギュレン教団を「米国の手先」として激しく糾弾していた。

エルドアン政権の変化が顕著になったのは、ギュレン教団と決別し敵対関係にまで進んだ2013年以降だったと思われる。これを境にしてエルドアン政権は反欧米の政権と目されるようになっていく。

以後、民営化は再び停滞し、現在も殆ど進展が見られていないらしい。アイドゥンルック紙の識者らは、さらに進んで「アタテュルクの国家資本主義」に立ち戻るべきだと論じている。

この辺りの大きな変化を見定めるのは非常に難しい。私の弱い頭は悩まされっ放しである。

私は初めてトルコにやって来た1991年以来、長い間、オザル政権の改革開放政策は当然のことであると考えていた。そのため、エルドアン政権が発足した頃も、エルドアン氏をオザル氏の後継者と見做して、これを歓迎していた。

ところが、今考えて見ると、エルドアン氏は元来その師であるネジメッティン・エルバカン氏の忠実な後継者だったのではないかと思わされてしまう。

2016年のクーデター事件の後だったか、ドウ・ペリンチェク氏が非常にイスラム的な放送局の番組に出演し、故エルバカン氏との友情を得々と語っているのを見て「以前は騙されていたのか?」と驚いたけれど、両氏は共にオザル政権の改革開放政策に反対していたりして、元々共通している所が多かったのかもしれない。強く反米を唱えていた所も同様である。

しかし、今でも、オザル政権以前のトルコの状況を映し出した画像を見ると、演説する政治家の前に並べられた旧式の大きなマイクやラジオなど、古びた光景に唖然としてしまう。

昨年の11月、トルコでは初の国産自動車が大きな話題になっていた。

エルドアン大統領の師であるエルバカン元首相は工学エンジニアであり、国産自動車の開発にも取り組んでいたから、「エルバカン氏の夢が実現した」というような論説も見られたけれど、エルバカン氏の試みが失敗に終わり、昨年、ようやくその夢が実現した背景には、外資の導入等により、最新の技術がトルコにもたらされた影響もあったのではないだろうか?

そのため、オザル政権の改革開放政策を一概に否定するのも間違っているように思われてならない。共和国初期の多少ラディカルな政教分離の試みがあってこそ、現在の常識的なイスラムの認識が得られたと説く識者もいるように、あの改革開放政策を経て今のトルコの発展がもたらされたと考えても良いのではないかと思う。

イスタンブールのカドゥキョイにある「ナーズム・ヒクメット文化センター」の中庭は左派の溜まり場として知られている。安いチャイを飲んで長居しても気兼ねせずに済むから、私も良く利用していた。左派の友人と待ち合わせる時は「ナーズムで」の一言で済んでしまう。

2013~5年頃だったか、ここで一人でチャイを飲んでいたら、隣席にいた50~60代と思しき男たちに「中国人か?」と声を掛けられた。今思うと、おそらくドウ・ペリンチェク氏の支持者だったのだろう。自分たちは共産主義者であると言い、盛んに中国共産党を礼賛していた。

私が「今の中国は資本主義じゃないですか?」と論っても、彼らは動じることも無く、「あれは経済的に米国へ追いつくためにやっているだけで、米国と対抗する力がついたら、徐々に共産主義の理想を実現して行くのだ」などと主張する。当時、私は鼻で笑って彼らの主張を聞いていたけれど、現在の習近平政権は再び社会主義へ向かおうとしているのではないかと説く人もいる。

それどころか、欧米で広がる貧富格差等、グローバルな資本主義社会の行き詰まりが指摘される中、中露を始めとするユーラシアの国々は、一様に国家主義社会主義の傾向を強めて行くのではないかと論じられたりしている。このユーラシアの国々にはもちろんトルコも含まれる。

ひょっとすると、トルコは今改めて「アタテュルクの国家資本主義」に立ち戻ろうとしているのではなく、アタテュルクによる建国以来、その理想とする国家理念を実現するために紆余曲折を経て来ただけなのかもしれない。中国と同様、改革開放も欧米に対抗できる力を蓄えるためだった・・・。

これでは、少し妄想が飛躍し過ぎているだろうか? 

しかし、私がオザル政権の改革開放政策を無条件で称賛して来たのは反省しなければならない。今回の大地震で、その負の部分が明らかにされたのは確かだと思う。