メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコとロシアによる停戦合意/アイシェは休暇に出なかった?

トルコとロシアが停戦に合意して、シリアでの大きな戦闘はひとまず回避されたものの、これは一時的な停戦に過ぎないという見方がトルコでも強いようだ。しかし、YouTubeから視聴したトルコの時事番組でそう論じたトルコの政治学者は、「学術の分野では、否定的な観点から分析を進めるが、外交は常に希望に基づいて行われる」とも語っていた。今後も希望に基づいた外交が続けられるように祈りたい。

今回の停戦合意に至る前、トルコではイドリブにおける緊迫した状況により「アイシェは休暇に出るのか?」なんていう謎かけが取り沙汰されていたらしい。これは1974年のキプロス侵攻でトルコ軍が出撃命令に使った暗号「アイシェは休暇に出た」に由来している。人々はアイシェ(トルコに多く見られる女性の名)が休暇に出なかったことに安堵しているだろう。

以下のYouTubeでは、その「アイシェは休暇に出た」へ至る過程が、1974年当時、連立政権の副首相だった故ネジメッティン・エルバカン氏によって語られている(1996年頃?)。


Erbakan: Kibris Baris Harekati 1974 - 1/2

この動画を観て、私は非常に意外な気がした。動画の撮影が1996年であるとすれば、その翌年、当時は首相だったエルバカン氏が軍部によって政権から引きずり降ろされてしまったように、軍部とイスラム主義者のエルバカン氏は、かねてより犬猿の仲であるという思い込みがあったからだ。

動画の中で、エルバカン氏はキプロス侵攻作戦における軍部との協調を得々と語っている。それによれば、作戦に消極的だった故エジェビット首相を差し置き、エルバカン氏が軍参謀長官の要請を受けて作戦承認への道筋をつけたかのようである。

エジェビット首相は、作戦が議題に上がると、キプロスの後ろ盾となっていた英国の意向を確認しなければならないとして、英国へ旅立ったが、その首相を見送った空港で参謀長官はエルバカン氏に「一刻の猶予もならない」として作戦承認への決断を迫ったというのである。

結局、3日後に帰国するエジェビット首相と共和人民党(CHP)の承認は、その時になって取り付けることにして、エルバカン氏と参謀長官の独断専行により作戦準備に踏み切ったため、承認が得られた段階で、軍は既に出撃の準備を整えていたそうだ。

エルバカン氏は聴衆に向かって、作戦承認に至るまでの緊迫した状況を語ってから、「(承認された)その日は金曜日だったので、作戦の成功を祈るため、我々はハジュバイラム・モスクの金曜礼拝に参列したが、人民党の連中は何処か他のモスクで礼拝したんでしょう」と付け加えて、聴衆の笑いを誘っている。(エジェビット首相を始め人民党の面々の多くが信仰に熱心ではないことは良く知られていた。エジェビット首相は新聞のインタビューに答えて、「断食など一度もしたことはない」と明らかにしている。)

壇上のエルバカン氏の隣には、1960年の軍事クーデターの立役者であり、当時、民族主義者行動党(MHP)を率いていた故アルパスラン・テュルケシュ氏(1997年死去)が、やはり笑みを浮かべながら座っており、聴衆の中には、エルバカン氏の愛弟子だったエルドアン現大統領の姿も見られる。

しかし、エルバカン氏も語りの中で明らかにしているように、エルバカン氏へ作戦承認の決断を促したのは参謀長官であり、作戦の立案と遂行は軍の主導によって実現されたようである。軍が圧倒的な力を持っていたとされる当時と現在では、異なる状況があるのだろうけれど、やはり今でも軍事作戦は、軍の主導に基づいているような気がする。軍と政府のバランスはかなり良くなっているかもしれないが・・・。