メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ついにヒロシマの仇を討った!

2001年の“911”、クズルック村の工場で事件の第一報を聴いた時も驚いたけれど、翌日の新聞を見てぶっ飛びました。ちょっと正確に覚えていませんが、一面に大きく「ついにヒロシマの仇を討った!」というような見出しが躍っていたのです。

記事は、テロを敢行したのが日本赤軍であるかのように伝えていたものの、そこには、凶行を非難するというより「ついにやってくれたか日本人よ!」といった快哉に近い雰囲気があったと記憶しています。その日、工場では、私に手を差し伸べながら、「祝福します! 日本赤軍というのは、日本の愛国者なんですね!」と嬉しそうに言う者まで現れ、どう応じて良いのやら、全く困惑の態でした。

ところが、多分その日の内に、「日本赤軍の仕業」というのはフランスの通信社による誤報であることが明らかになり、イスラム過激派の関与が囁かれはじめた為、今度はトルコの人たちが困惑の態となってしまいました。

これで我々日本人は、やれやれと一息ついたけれど、この事件が起こる前も、私はトルコ人から、「日本はいつヒロシマの仇を討つんですか?」とか「次のパール・ハーバーはいつですか?」なんて真面目に訊かれたことが何度もあります。

トルコでは、10年ぐらい前でも、12月8日頃になると、映画“トラ・トラ・トラ”を何処かのテレビ局が放映していました。これには、親日感情というより反米感情が大きく関わっていたでしょう。だから、憎きアメリカをやっつけてくれるなら、ヒーローは日本じゃなくても良いのだろうけれど、何と言っても、日本は、あの通り立派な“実績”を持っていたのです。

もちろん、トルコはアメリカに爆弾を落とされたわけじゃありませんが、世界の警察を自認し、至る所で生殺与奪権を握っているかの如く振る舞うアメリカに、人々は反発を感じているのだと思います。おそらく、トルコに限らず、世界中で多くの国が政治的・経済的にはアメリカへ従属しながら、多かれ少なかれ反米感情を養っているのではないでしょうか。

日本のように、米国から頭ごなしに何か言われても、さほど気にせず、にこやかにしていられるのは珍しい存在であるかもしれません。

トルコでも、以前から、そんな日本の“美徳”を知っている人たちは、「原爆落としたアメリカを日本人は何故好きになれるのか?」と詰問調に迫ってきたりしました。

私は詰問される度に、「日本人は心が広いのです」とか「アメリカは少なくとも自分たちが作ったルールは守るので、国家として、ロシアや中国より遥かに信用できます」なんて答えてきたけれど、日本人も中国や韓国に対しては“心が広い”なんてとても言えないし、イラク戦争アメリカを見ていたら、その信用度も“ロシアや中国に比べれば、いくらか増し”ぐらいに改めなければならないような気がしてきます。

トルコでは、2002年にAKPが政権につくと、左派や軍はAKPのイスラム傾向に懸念を示して反発しましたが、あれは、イスラム傾向もさることながら、それ以上に、AKPが推し進めた民営化政策やグローバル資本への門戸の拡大に対する抵抗だったと言われています。特にユーラシア派と呼ばれる人たちが連帯を模索した相手には、ロシアや中国ばかりでなくイランも含まれていたというから、それは反イスラムというより、反米そのものだったでしょう。

日本でも、ほぼ同時期に小泉政権が誕生して郵政の民営化を推し進めたけれど、国際情勢に詳しい方へ、こういった動きの関連性について尋ねてみたくなります。

それから、小泉政権の親米傾向に対して、自衛隊幹部の中から批判的な声が出ていたのは、とても興味深い話だと思いました。当たり前かもしれませんが、自衛隊は精神的には決してアメリカに従属していないと納得した次第です。もちろん、ユーラシア派のようになったら困りますが、その心配はないでしょう。

ヒロシマの仇を討つ!」、心の広い日本人がそんなこと考えるわけがありません。“トラ・トラ・トラ”を観て興奮するような日本人も余りいないはずです。

それはともかく、あの映画を作ったアメリカ人の“心の広さ”にも驚かされます。トルコで毎年放映されても、反米に利用されても、全くお構いなしでした。実害がなければ、反米などは“富裕税”ぐらいに思っているのでしょうか。

アメリカばかりじゃありません。ロシアなどは間違いなく“世界中で恐れられたい”と願っているはずです。中国にしたって、好かれたいなんて望んではいないでしょう。優しい日本人は、ちょっとした“反日”にも心を痛めてしまうけれど、熾烈な覇権争いを繰り広げる大陸の国々に、そんな可憐さはないようです。だから彼らは、「ついにヒロシマの仇を討った!」なんて見出しが書けるのかもしれません。