メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

東方礼儀之国

87年~88年にかけて滞在したソウルの下宿は、延世大学に近いこともあり、下宿生は殆ど同大の学生でしたが、一人、韓国有数の商船会社に勤める独身サラリーマンの方もいました。1960年生まれの私より四つぐらい年上だったのではないかと思います。名門高麗大学の仏語学科を卒業し、柔道は三段の腕前という文武両道の英才でした。

儒教思想が色濃く残り、長幼の序にうるさい韓国では、三つか四つの僅かな歳の差も疎かには出来ないため、若い学生たちは“年長者”である私に必ず敬語で話し、礼を尽くそうとするので、非常に堅苦しいものを感じたけれど、サラリーマンの方はざっくばらんに応じてくれたから、私は学生たちよりこの方と特に親しくしていました。

もちろん、その方には私が敬語で話して礼を尽くさなければなりませんが、韓国語の初学習者である私にとっては、ぞんざいな言葉使いより、敬語のほうがよっぽど話し易かったのです。ところが、学生たちに敬語で話しかけたりすると、「ヒョンニム(兄様)、私どもにそのような敬語をお使いにならないで下さい」などと言われ、やり難いことこの上もありませんでした。

サラリーマンの兄様(日本語にすれば先輩ですね)は、仏語学科を卒業したものの、商船会社では英語を使うことが多く、「仏語が全く上達していない」と嘆いていたので、ソウルオリンピックの開催期間に、フランス人も宿泊しているツーリスト用の安宿に御案内したら、暫くの間、フランス人の旅行者と楽しそうに話しこんでいました。私はフランス語が全く解らないから何とも言えませんが、かなり流暢だったように思います。

先輩の英才はこればかりでなく、漢文を白文で読みこなすことも出来ました。ハングル世代と呼ばれる同世代の韓国人には、漢字も満足に読めない“秀才”もいたから、その博識は抜きん出ていたと言えるでしょう。

「白文で・・」と一応ことわりましたが、韓国には昔から“返り点”などというものが存在していなかった為、漢文を読むのであれば、それは断わるまでもないことでした。

例えば、「少年老い易く学成り難し」という漢文由来の諺も、“返り点”を使って読まなかった韓国では、漢文でそのまま「少年易老学難成」と伝えられ、これを韓国語の音読みで「ソニョンイロハンナンソン」と言い表し、発音通りにハングルで書き記していました。日本語に置き換えて考えれば、平仮名で「しょうねんいろうがくなんせい」と表記するようなものであり、漢字を知らない世代は、この諺を知っていても、何故そういう意味になるのか良く解っていないかもしれません。

しかし、小中華と言われた李氏朝鮮の時代、知識人は公式文書から私信に至るまで、全て漢文を用いていたと言うから、その後、日本統治時代の“日本語の使用”を経て、独立後のハングル世代へと続く韓国の歴史は、なかなか一筋縄ではいかないように思えます。

先輩とは、下宿の食堂でも一杯やりながら語り合ったりしたけれど、上記のような日韓の歴史に話が及ぶと、なかなか和やかに終らない場合もありました。

ある晩、そういった“歴史認識”を巡って議論になり、先輩が「東方礼儀之国と言われた我が国と日本は比較にならない」と繰り返したので、ほろ酔い加減の私もムキになって、「兄様、そう仰いますが、“東方礼儀之国”というのは、中国から“行儀の良い子だ”と褒められただけの話でしょう。そういうのを事大主義というのではございませんか?」と詰め寄ったところ、やはり酔いの回っていた先輩は、テーブルをバーンと叩き、「無礼なことを言うな!」と大激怒。先輩は何しろ柔道三段の怪力無双ですから、その勢いでド突かれたら、ひょろひょろの私はひとたまりもありません。『しまった! 調子に乗って言い過ぎたか?』と青くなっていると、先輩は何も言わずに立ち上がり部屋へ引き上げてしまいました。

翌朝、先輩はいつも以上に愛想良く、「あー、マコトさん、昨日は良く眠れました?」なんて声をかけてくれたけれど、晩のことがちょっと照れ臭かったのかもしれません。

でも、良く考えて見れば、私が子供の頃は日本の教科書にも、「我が国(日本)は“東方礼儀之国”と言われていた」なんてことが書かれていたように記憶しています。朝鮮が“東方礼儀之国”と称されていたのは紛れもない事実のようですが、日本の場合はそれも怪しいから、これは“事大主義”どころか、似非事大とでも言えるような代物じゃなかったでしょうか。先輩に、これを言わなかった私は非常に卑怯でした。

事大主義というのは、・・・以下をお読み下さい。

事大主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9

「以小事大」(小を以って大に事(つか)える)という孟子の言葉に由来しているそうです。大国に従属しながら生き残りを図るという意味だと思います。

韓民族はこの事大主義によって中国に寄り添いながらも、完全に漢化されてしまうことなく、しぶとくその民族性を守ってきました。中国を支配した満州族でさえ、直に漢化されてしまったのだから、韓民族は、まさにサバイバルの達人と言えるかもしれません。(トルコの周辺では、アルメニアユダヤギリシャなどもサバイバルの達人と言えるでしょう。大陸で自分たちの民族性を守って行くのは容易なことじゃないようです)

私は時々、韓民族には、そういったサバイバルの遺伝子とでもいうようなものが組み込まれていて、この遺伝子が“北朝鮮”を担保として取ってあるんじゃないかと思うことがあります。

生物に雌雄の別があるのは、全て同じタイプの遺伝子ばかりだと、その遺伝子がある種の伝染病のようなものに対応できない場合、全滅の危機にさらされる為、絶えず二通りの遺伝子を組み合わせることによって、リスク配分しているからだと言いますが、韓国と北朝鮮も、そういった雌雄の関係なのかなあ、なんて考えてしまうのです。二股かけた究極の“事大”かもしれません。

しかし、日本も戦後は、アメリカに“事大”して来たのではないかと思います。果たして、日本は、韓国ほど巧みに、“事大主義”を使いこなして来たでしょうか。

2009年3月7日(土) 

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