メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

メソポタミア文化センター

先月行なわれた統一地方選挙、政権与党のAKPが得票率を落としたことも話題になったけれど、南東部のクルド人地域で、クルド系政党のDTPが見せた大躍進は、それ以上に注目を集めたかもしれません。DTPは、この地域の中心的な存在と言えるディアルバクル県において、65%という記録的な得票率で現職のバイデミル氏を再び知事の座につけました。
AKPの支持者であるディアルバクル県出身の友人がこれについて何と言うのか気になるものの、以来、未だ会って話す機会に恵まれていません。
一方で大躍進したDTP支持者の意見が聞きたいのであれば、イスティックラル通りにある“メソポタミア文化センター”のカフェへ行ってお茶を飲むだけでも、そこに集まってくるDTPの支持者たちから色々な話が聞けるでしょう。しかし、数年前、何度かここに出かけて彼らの話を聞いた時は、その主張に賛同の意を表さずにいると、すーっと引かれてしまい、そこから先には話が進まなかったので、何となく興醒めに感じて、暫く足が遠のいていたのです。
ところが、昨日、他の用事があってイスティックラル通りへ行き、用事を済ませて戻る途中、トイレに行きたくなって、周囲を見渡したところ、ちょうどそこが“メソポタミア文化センター”の真ん前だったので、これも何かの縁と思い、久しぶりにカフェの戸をくぐり、トイレを借りて、その近くの席に座ったら、早速、私と同年輩のインテリ風な男性に声をかけられ、延々3時間近く話し込んでしまいました。
私たちが話し始めると、周りに色んな人が集まってきたけれど、最後まで長々と付き合ってくれたのは、最初に声を掛けてきたビトゥリス県出身と、少し後になってやってきた、やはり同年輩と思しきムッシュ県出身の男性でした。
“ビトゥリス氏”は、「・・・何故、クルド人が独立した国家を持ってはならないと初めから決め付けるのか? 我々にも独立国家を希求する当然の権利があります」といった、かなりラディカルな主張も織り交ぜて話しますが、私が少々トルコ政府寄りの意見を述べても、すーっと引くこともなければ、興奮して自分の主張を繰り返すこともなく、時々、全く関係のない話に脱線しながら、楽しそうに付き合ってくれました。
ムッシュ氏”は、ビトゥリス氏に比べれば遥かに穏健な思想を持っていたようだけれど、「・・・ある民族が抑圧を受けて、合法的には何一つ民族的な意見を主張することが出来なくなれば、後はラディカルな手段に訴えるよりないでしょう?」と私に問いかけながら、「これまでの不幸な武力衝突がなければ、現時点に辿りつくことはなかっただろうから、武力行使に出た人々を“テロリスト”といって片付けるわけにはいきません」と語っていました。
「私たちはトルコ人のように後からアナトリアへやってきたわけではない。有史以来、現在の居住地域で暮らしてきたのです」という彼らの意見に対して、「トルコ人と言われている人々だって、中には中央アジアから来た人たちがいるかもしれないけれど、その殆どは昔からアナトリアで暮らしてきた民族の子孫なのではありませんか?」と尋ねたところ、ビトゥリス氏は「その通りです。確かにトルコ人というのは様々な民族の寄せ集まりでしょう。しかし、彼らはモザイク状に散らばっていて、例えばラズ人が何処かで一つの独立国を創ることができますか? でも、私たちは特定の地域でかなりまとまった人口を有しているんですよ」と答えて、クルド人は決してこの国のマイノリティーではないと明らかにしていました。
さらに、ビトゥリス氏は、「トルコ人というのは、人工的に造られた民族なんです。その創造を主導した人々の中には、様々に異なる民族的な出自を持つ人たちがいました」と続けたので、「クルド人もいましたよね?」と訊いたら、「そうです。いましたね」と笑い、「しかし、この新しい民族の創造は余り巧く行かなかったんじゃありませんか」と言うのです。
それで、私もついつい「貴方たちが嫌いなAKP支持者の中にも、そういう風に“新しい民族の創造は失敗した”と主張する人たちが沢山いますよ。“我々はトルコ人でもクルド人でもないムスリムである”と言ってます。これはどうですか?」なんて訊いてみたけれど、これには苦笑いするばかりでした。彼らは、もともと左派的な思想の持ち主だから、宗教に対する距離の置き方では、たちまち“トルコ人の左派”と意気投合してしまうのです。

しかし、「AKP政権がクルド問題の解決に向けて示した努力は認めますか?」という私の問いには、ビトゥリス氏も肯いていました。“独立国家を希求するのは当然の権利”と主張するけれど、本人は必ずしも独立などを望んでいるように見えません。『クルド人が独立を望むのは絶対悪であるかのように言うのは止めてくれ』と言いたいのではないかと思いました。
「私たちは民族的な主張の為に投獄されたり拷問を受けたりして来たんですよ。これも全く恨みに思うなというのは無理です。武力衝突でトルコ人にも死者は出たけれど、その何倍ものクルド人が殺されました・・・」と語っていたビトゥリス氏ですが、夜遅くなってカフェを出た時には、「今日は色んな話が出来て楽しかったよ。私たちは日本人である君がクルド人の味方になることを望んでいるわけじゃないからね」と言い、私が「トルコの人々の間でもこんな話が出来るようになると良いですね」と水を向けたら、「いや、もう話せるようになっていますよ」と微笑んでいました。
私も彼らに、「ここに集まるクルド人には、自分たちの主張が聞き入れられないと直ぐに引いてしまう人たちが多かったけれど、今日は楽しかったです」と感謝したら、穏健派のムッシュ氏は、「私も時々ここへ来て同じように感じているよ。ハハハハ」と声を立てて笑っていたけれど、彼は私にクルドの問題ばかりでなく、一人のトルコ国民として、トルコ全体の問題についても熱っぽく語っていたくらいだから、ラディカルな主張を繰り返す人たちには、やはり敬遠されていたのかもしれません。
それから3人で、イスティックラル通りをタクシム広場の近くまで歩いたところ、ビトゥリス氏は「この通りを歩くと気分が良くなるよ。僕は不愉快な気分になったりすると、ここまで来てイスティックラル通りを歩いたりするんだ」なんて嬉しそうに話していました。

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