メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

憲法改正と「クルド和平プロセス」

 (1月29日)

1980年の軍事クーデターによってもたらされた憲法には、改正不可という条項が存在している。

主に「世俗主義」といった共和国の体制に纏わるもので、ラディカルなイスラム主義者、あるいは共産主義者などでもなければ、これに異議を唱える人は殆どいないのではないかと思う。AKP政権も、ここへ立ち入るつもりは全くないに違いない。

しかし、条項の「言語」に関する部分では、その解釈をめぐって、様々な議論が繰り広げられてきたようである。

第3条の「トルコ国家は、国と民族による不可分の総体である。言語はトルコ語である」という部分がそれで、「いったい何の言語なのか? 国家の言語なのか?」と問う識者もいれば、この問いに不純な動機を見出す識者もいる。

「国家の言語」と解釈するなら、「公用語」に置き換えても良さそうな気がする。実際、そう書き換えるべきだと主張する識者がいるらしい。そして、これを認めない識者たちは、そこに「不純な動機」が潜んでいると言う。

つまり、トルコ語が「国家の言語・公用語」と限定された場合、「それでは、クルド語等々を『民族の言語』と認めて、さらに発展させよう」なんて言い出すのではないかと疑っているのである。

そのため、法学者のビルギュル・アイマン・ギュレル氏(女性)は、「何の言語なのか?」という問いの答えは、その前の文章を見れば明らかであるとして、次のように定義している。

「1. 国家の言語 2.国の言語 3.民族の言語」。

この全てがトルコ語である、ということになるらしい。とはいえ、これでクルドの人たちは納得するだろうか? まあ、解釈の余地は残しておいて、無理に「公用語」と書き換えなければ、双方に納得してもらえるかもしれない。

いずれにせよ、今回の改正案は、これに全く触れていない。「クルド和平プロセス」を進めて来たAKP議員の中には、触れたかった人もいそうだが、MHPは絶対に許さなかったはずである。

なんとなく、MHPが協力したこの改正案により、「クルド和平プロセス」も終止符を打たれてしまったような気がする。エルドアン大統領も、既にその失敗を認めているのではないか? 金輪際、「クルディスタン州」なんて話を持ち出すこともないだろう。さすがに、そこまで危険なリスクは冒さないと思う。

一方、MHPのバフチェリ党首が、逮捕されたクルド系政治家のアフメット・テュルク氏に手を差し伸べるなどして、こちら側も態度を和らげてきている。90年代のように、クルド人クルド語の存在を否定したりする人は、MHPの主要議員の中にもいない。

解放されたクルド語を、また閉じ込めてしまうことなど出来ない相談である。しかし、クルドの人たちの多くも、一時の民族的な熱望からは、冷めてしまったかもしれない。

今や、民族の違いを越えて、多くの人たちが、トルコ共和国の平和と発展を望んでいると信じたい。


*ビルギュル・アイマン・ギュレル氏の論説
http://ahmetsaltik.net/2016/09/18/dili-turkcedir-bu-ifadede-3-sifat-var/