メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アメリカン・シンドローム

前回、トルコには“自分たちよりも進んだ国”“後れた国”という見方をする人たちが少なくないと書いてしまったけれど、あれをトルコの友人たちが読んだら不愉快に思うでしょう。「日本にも沢山いるじゃないか」と言うに違いありません。ある友人の話では、ほんの数年前、東京の街角で若い女性に話しかけられ、自分がトルコ人であることを明らかにしたら、なんとその女性、「えっ! 嫌だわ、アメリカ人じゃないの!?」と残念そうに叫んで立ち去ってしまったそうです。

西欧への憧れとコンプレックスは、西欧以外の殆どの国々に見られる現象であるような気がします。多くの国が、程度の差こそあれ欧米化を図り、自分たちの伝統や風俗の一部を捨て、欧米の伝統・風俗に合わせなければなりませんでした。例えば、私は、子供の頃から和服の類いを着た覚えが殆どありません。おそらく柔道着が唯一の例外だったのではないかと思います。

私たちの世代は、戦後に加速化した生活スタイルの変更が一段落ついた後に育ち、その過程で心に葛藤が生じたわけじゃないし、進駐軍の記憶など全くないから、私が子供の頃に感じていたアメリカへの印象は“日本に民主主義をもたらした有り難い国”というものでした。強烈な憧れもない代わり、恨みや憎しみもなかったでしょう。今では、アメリカの“有り難さ”の裏に潜んでいた“恐ろしさ”にも思い至るけれど、概して私が育った60年代~70年代の所謂“戦後”は非常に良い時代だったと追憶しています。

韓国の場合、米軍は今でもソウル市のど真ん中に居座っているし、さらに日本への複雑な思いも絡んでくるから、そう簡単には片付かないようです。アメリカへの明らかな憧れと隠しきれない恨み、日本への露わな怒りと秘かな憧れ、それに、最近は超大国として浮上しつつある中国に対する恐れも加わって、一層ややこしくなっているかもしれません。これは地政学的な宿命でしょうか。しかし、隣接する巨大な中国へ飲み込まれることなく、したたかに生き抜いてきた韓民族の長い歴史は感動的であり、示唆に富んでいると思います。

確かに、一部の韓国の人たちが見せる過激な反日感情には大人気ないものを感じるけれど、時として、彼らがアメリカに対しても同様の“怒り”を爆発させているのを見ていると、『何故、私たち日本人はアメリカに対して、あそこまで大人しくしていられるのだろうか?』と問わずにはいられません。韓国に対しては余り大人しくない人たちもいるからです。

95年頃にソウルを訪れ、90年に東京で一緒に働いたことのあるチョンさんの御宅に泊めてもらった時のことです。私はチョンさんが書斎代わりにしている部屋に寝かされたのですが、枕元にあった本棚に日本から持ち帰った本が沢山置かれていて、その多くは韓国について書かれた本でした。

翌朝早くに目が覚めてしまって、そういった本の一冊をパラパラと捲っていたら、所々にチョンさんが赤ペンで印をつけているので、その部分を読んでみたところ、その殆どは、日本の右翼的な人物が韓国を非難した発言ばかりだったから驚きました。

チョンさんは余りそういう話に興奮する人ではないと思っていたので、朝食の後に尋ねてみると、「ああいう発言はやはり嫌な感じだし、おかしいと思う。なにより発言している本人が、一つもおかしいと思わないで、発言の内容を信じきって、自信を持って発言しているところが恐ろしい。韓国で反日についておかしなことを言ってる連中は、興奮して喚いているだけで、本人もその発言が多少おかしいことに気がついているし、周りで囃したてている連中も『ちょっとおかしな発言だが反日の鬱憤を晴らすには良い材料だ』ぐらいに思っているのではないかという傾向がある。日本の右翼は極冷静にあれを言ってのけるところが恐ろしい」と説明してくれました。 

私もこの時、全く同感であると答えたのですが、例えば、当時韓国の人たちは日本に対して非常にコンプレックスを感じていたようだけれど、自分たちがコンプレックスに悩まされていることを何処か心の片隅で認めていたような気がします。私たちも欧米に対してはコンプレックスがあるに違いないと思うけれど、その点どうなんでしょう? 

韓国は歴史上で何度もやられているから、やられた後の気持ちの整理にも長けているのではないかと思ったことがあります。年季の入ったプロボクサーは、ダウンしても、その後どうやって立ち上がって、どうやって試合を続けるのか解っているそうですが、まさしく韓国は年季の入ったプロボクサーであるかもしれません。余りやられたことのなかったアマチュアボクサーの日本は、アメリカにガツンとやられて、どうやって立ち上がったら良いのか解らなくなってしまったのではないかと心配です。