メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

李白はウイグル人だった

数年前、東京を訪れたトルコの企業経営者4名と地下鉄で表参道へ向かった時のことです。電車が外苑前駅を出発する際、一行の中では最も規模の大きな会社の若い経営者が、ローマ字で記された駅名を私に示しながら、「あれが駅の名前なの? 可笑しいねえ。クルド語の牛という言葉に良く似ているよ」と笑ったので、私も興味深く感じて、「貴方はクルド語が解るんですか?」と問い返したら、「僕らはマラテヤの出身ですからね。母語クルド語なんですよ」という話になり、思わず好奇心に目を輝かせたところ、向かいに立っていた中年の経営者が険しい表情で、「こんな所でクルド語の話なんてするなよ」と言い放ち、辺りには一瞬緊張が走りました。

電車が表参道駅に着き、皆、そそくさとした様子で電車を降りて歩き始めると、マラテヤ出身の若い経営者は私の袖を引き、「あんな奴がいるからトルコはなかなか良くならない」と囁いたけれど、その後、夕食の席に付く頃には、蟠りも解け、企業経営者としては少し格下になる“反クルド語論者”の相談にも快く答えていました。「・・・まあ、そういう従業員は保証金でも与えて解雇したほうが良いですよ。法廷に持ち込まれたら、勝ち目はありません。裁判官なんていうのも所詮は給与所得で暮らす労働者だから、どうしても同じ労働者の肩を持ってしまうんだろうね。ハハハハ」。

しかし、この若い経営者も決してクルド人の民族運動を支持しているわけではなかったし、「貴方は何人ですか?」と問われれば、おそらく当たり前に「トルコ人ですよ」と答えたでしょう。また、“反クルド語論者”の経営者がエスニック的にはクルド人であったとしても全く不思議ではありません。民族意識を持たない、単にエスニック・ルーツがクルドである人まで含めれば、トルコ全土でクルド人はいったいどのくらい存在しているのでしょうか。

一定のエスニック・ルーツに基づいた民族ではない“トルコ人”の場合、その風貌は様々であり、どれが“トルコ人らしい顔”かと言われても困るけれど、クルド人に関しては、一般的に“クルド人らしい”と思われている顔があります。髭や眉毛の濃い如何にも中東的な面立ちです。そうは言っても、これが全てのクルド人に当てはまるわけではなく、真っ白い肌に青い目、ブロンズの髪を持つクルド人も珍しくありません。

3年ほど前、アディヤマン県出身の“クルド人”である友人が、イギリスへ行くことになり、以前、イギリスで暮らした経験がある黒海地方出身の“トルコ人”に色々尋ねたら、その黒海地方出身は、アディヤマン県出身の顔をしげしげと見ながら、「俺はお前が羨ましいよ。お前の顔で黙っていれば、西欧の人間と見分けがつかないだろう。でも、俺のこの顔じゃあ、まるで“中東から来ました”って顔に書いてあるようなものだから、色々嫌な目にもあったよ」と言って寂しそうに笑いました。

黒海地方出身のエスニック・ルーツが何だったのか良く解らないものの、彼のような中東顔の“トルコ人”はざらにいるし、真っ白い肌に青い目、ブロンズの髪を持つ“トルコ人”も少なくありません。逆に、テュルクメン人やウイグル人のような“原トルコ人”に近い風貌のトルコ人は探すのが大変でしょう。

前回の“通信”でお伝えしたクルド人の“ビトゥリス氏”は、「トルコ人なんて言わないで“アナトリア人”と言っておけば、私たちは皆アナトリア人なんですよ」とも話していました。これに対して、『それでは、単なる名称の問題だったのですか?』と訊いてみたくもなったけれど、“トルコ人”をエスニック・ルーツに基づく民族へ仕立て上げようとするトルコ民族主義者たちもその矛先を収めようとしないから、その対立は解消されるはずがありません。

いつだったか、トルコに住むウイグル人の友人が、「李白ウイグル人だった」なんて言い出したので、思わず呆れたような顔をしたら、彼は次のように説明してくれました。

「これは、私たちウイグル人が主張しているわけじゃなくて、最近、中国の教科書にそう書いてあるらしい。中国人は恐ろしい人たちだよ。つまり“李白ウイグル人だったのに、中国の文化に偉大な足跡を残した。貴方たちもどうぞ中国の文化に足跡を残してください”という意味なんだ。トルコ人ではない人までトルコ人にしようとする矮小なこの国の連中とは比べ物にならないね」。