メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

不干斎ハビアン


以前にも御紹介したこの本に、不干斎ハビヤンという安土桃山時代から江戸時代にかけて生存した人物の信仰の軌跡が記されています。

不干斎ハビヤンは、禅宗の寺で育ちながら、19歳でキリシタンとなり、「妙貞問答」という書物を著して、キリスト教の伝道に努めたものの、後に棄教して、1620年には「破提宇子(はだいうす-デウスを破す)」という反キリシタン文書を著し、その翌年に亡くなりました。

キリスト教の立場からは、単なる背教者、転向者として批判されている例も多いようですが、山本七平は「日本人とは何か」で、この人物を「四教合一論的日本教徒」と表現して、その宗教観が非常に日本人的なものであったと論じています。少し長くなりますが、一部を以下に引用してみましょう。

*************(以下引用)
・・・・・
海老沢有道氏は「彼(ハビヤン)の宗教信仰の主体性把握が不徹底」と評されているが、これはさまざまな意味でいえる。というのは、『妙貞問答』を通読すれば、彼の態度は「熱烈な信仰の人」というよりはむしろ冷静な「比較宗教学者」に近いからである。

・・・・中略・・・・・・・

いわばハビヤンの態度自体が、四宗教(注:神道・仏教・儒教キリスト教)を並べていずれを選択すべきか、という態度である。海老沢有道氏の言葉を借りれば「宗教信仰の主体把握」でなく、主体性は自ら保持し、四つの宗教のうちいずれを選択すべきか、という態度である。

伝道文書『妙貞問答』の結論はもちろん、「キリシタンこそ選択さるべき宗教」であり、この意味では確かに伝道文書だが、「選択」はあくまで相対的な優劣に基づくから、どの宗教も「絶対」ではなくなってしまう。その道は結局、キリスト教の絶対性への否定につながるから、後に彼が『破提宇子』を記しても不思議ではない。こうなると奇妙なことに彼は、四宗教をことごとく否定した「無宗教人」になってしまう。

『破提宇子』の「序」で彼は自らを「江湖の野子」(俗界の野人)と記し、ちょうど『妙貞問答』を裏返したような形で、これまた問答体を用いて神道・仏教・儒教を援用してキリスト教を論破した形になっているが、そのいずれの信徒であったかは、『破提宇子』をいかに読みかえしても明らかでない。またキリスト教的な「自由主義神学」を完全に捨てたわけでもないらしい。定義するとすれば「四教合一論的日本教徒」となるであろう。・・・・

***************(引用終わり)

「『選択』はあくまで相対的な優劣に基づくから、どの宗教も「絶対」ではなくなってしまう」

これは正しくそうであるように思えるし、私たち日本で育った人間の多くは、信仰について考える場合でも、こういった「選択」を行っているのではないでしょうか? 

韓国では、宣教活動によりキリスト教が急速に広まったのに、日本ではそうならなかった理由として、山本七平はこれを指摘しているのです。

トルコで暮らしていると、熱心なムスリムたちが、「他の宗教やイスラムについて調べて下さい。貴方もイスラムの良さが解り、きっとイスラムを選ぶはずです」と言いながら、盛んに勧誘してくるけれど、やはり、そういった「選択」によって、絶対的な信仰を得るのは無理じゃないかと思います。

そもそも、そう勧めるムスリムの殆どは、他の宗教のことなど全く調べていないし、イスラムについても、どのくらい深く知っているのか解ったものではありません。

また、信仰の為には、そんな「比較宗教学者」の態度など余り必要がないのでしょう。

この「他の宗教やイスラムについて調べて下さい・・・」は、最も多く使われる“ムスリムの素朴な嘘”であるような気がしてなりません。