メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ヤクザ稼業と夜逃げ

二十歳の頃に北区内の小さな運送会社で働いたことがあります。

その運送会社は大企業〇〇〇印刷の専属で、私の仕事は〇〇〇印刷の各工場間を走るライトバン便の運転手でした。主に本社工場と〇〇の工場を往復して、版下などを運ぶと共に、社員の方々の交通機関にもなっていました。 

本社工場にいる時は、いつも本社ビルの地下駐車場で待機していたけれど、この地下駐車場には〇〇〇印刷社長の専用車であるベンツも待機していたから、専用車の運転手さんとは自然と顔見知りの間柄になります。 

ある日、地下駐車場で待機していると営業の課長さんと部下が乗り込んできて、「さあ、もう行こう。〇〇工場まで頼むよ」と言うので車を出発させ、〇〇町の交差点に近づいたところ、脇道から社長専用車のベンツが現れ、運転手さんは私の顔を見て鷹揚に合図し、私も軽く会釈して前に入れてあげました。 

すると、後ろに乗っていた部下の人は、「運転手さんよお、あんな無礼な奴を入れてあげちゃ駄目だよ」みたいな文句を並べたのですが、課長さんはそんな部下をたしなめて、「でも、ああいうベンツに乗っているのはヤクザ者が多いからさ、入れてあげたほうが無難かもしれないね」と言います。それで私も理由を説明することにしました。 

「いや、社長の車だから入れてあげたんですよ」 
「えっ? 社長の車? 君の運送屋の社長さんかい? いや御免、申しわけない。そういえば、運送屋の社長さんとかもああいう車に乗ったりするよね。別にヤクザっぽいわけじゃないけど・・・」 
「いや、うちの社長じゃありませんよ。〇〇〇印刷さんの社長です」 
「えっ! そうなの?! まっ、印刷屋もヤクザ稼業だからなあ、ハハハハ」 

これには皆で大笑いでした。 

この運送会社は、ライトバンを7台ぐらい、他にトラックも数台所有していたから羽振りが良さそうに見えたかもしれないけれど、内情は火の車で、度々給与も遅れるほどであり、社長はもちろんベンツなんて乗れません。いつも軽自動車に乗っていました。 

社長は、親が創った運送会社を譲り受けた35歳ぐらいの静かな大人しい人で、運転手を叱り付けたりできないものだから、気の強そうな奥さんがその役割を務めていたくらいです。 

私は高校の同級生をこの職場に誘い入れたりしたのに、自分は給与の遅れに不安を抱き、同級生の友人をそこに残したまま、新宿区内の他の運送屋に転職して、2tトラックで配達の仕事を始めたのですが、3ヵ月ぐらい経ったある日、仕事を終えて飯田橋の安アパートへ戻ったところ、以下のような友人の書置きが目に留まりました。

『会社が潰れて、社長は夜逃げした』。 

友人に連絡したら、殆どの運転手の給与が未払いのままで大騒ぎになっているようです。「皆で社長の行方を探しているんだ。お前もトラックで方々走っている時に注意してくれ」と友人は私にも協力を求めます。

そして、その1ヵ月ぐらい後のことです。あれは今から考えても不思議でなりません。 

2tトラックの配達が済んで車庫に向かう途中、北新宿の職安通りに出る一方通行の道を走っている時でした。

突然、トラックの前に5歳ぐらいの男の子が飛び出して来たので急ブレーキを掛けて良く見れば、それは紛れもない社長の子供だったのです。

裸足で泣きながら走って行く男の子の後を徐行しながらつけると、その子はスーパー北新宿丸正の中へ入って行きます。 

私は適当なところにトラックを駐車させ、スーパーの前で子供が出て来るのを待ち構えることにしました。

うまく行けば、社長も一緒に出て来るかもしれません。5分ほど待ったでしょうか。中から子供の手を引いた奥さんが姿を現したのです。

ほんの4ヵ月ぐらい前に見た時は、相変わらずキャリアウーマン風にきめていた奥さんが如何にもくたびれた貧しい主婦の姿となって私の前に立っています。 

奥さんも直ぐ私に気がついたらしく、びっくりしたように動きを止め、私が普通に挨拶したら、そのまま肩を震わせながら泣き崩れてしまいました。

これを見て、私は言おうとしていた言葉を全て忘れてしまい、「皆、とても心配しています。とにかく一度連絡して下さい。お願いします」とだけ言うと、逃げるようにその場を離れました。 

トラックを車庫に戻してから友人に電話して、この出来事を伝えたところ、友人は初め「よくやった!」と喜び勇んだものの、その後の顛末を聞いたら、かなりガックリしたのか、「馬鹿野郎! それでお前は“はいそうですか”と居所も確かめないで放しちまったのか! ふざけんなよ!」と憤懣やるかたない様子でした。 

社長の家族がその後どうなったのかは全く知りません。5歳ぐらいだった息子さんは、もう34歳ぐらいになっているでしょう。