メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

名古屋のやくざマンション

長距離トラックの運転手をしていた1996年の4月、広島から名古屋まで、某引越センターの荷物を運んだ。
広島では、既に引越センターの支部へ運び込まれていた荷物を積んで来たから、荷主の家がどういう様子だったのか、私は目撃していない。
名古屋の搬入先は、郊外に建てられた高層マンションだった。
引越センターの車も来ていて、7~8人の搬入要員が待機していた。これなら直ぐに片付くだろうと思ったが、マンションの外門の脇に駐車してあるベンツが邪魔で、玄関先までトラックを寄せることができない。
引越センターの責任者格の人が、マンションの管理事務所へ連絡したところ、マンションのオーナーであるという初老の男性が出て来たものの、「えーっ、このベンツにどいてもらうの? また、街宣車が来たら嫌だなあ」なんて恐れている。どうやら、ベンツの持ち主は暴力団関係者らしい。
しかし、その人の良さそうなオーナーが渋々連絡して、暫くしたら、マンションの玄関から如何にもな男が肩を怒らせながら姿を現し、我々の方を一睨みしただけでベンツを移動してくれた。
それから、トラックを玄関先に着け、搬入作業が始まったけれど、人手も多いから、私はずっとトラックの荷台にいて、マンションの中には入らなかった。
途中、マンションの住人と思われる水商売風のおばさんが、「ご苦労さまですねえ」と微笑みながら、トラックの前を行き過ぎたので、私も軽く会釈を返した。ところが、そのおばさんが玄関に入ったところで、ひと騒動持ち上がってしまう。
エレベーターに引越荷物を運び入れていた搬入要員の一人が、先に乗せてくれと頼んだおばさんに、捨て台詞を残して、そのままエレベーターを出発させてしまったというのである。
おばさんは金切り声をあげ、亭主に連絡したから、来るまで全員が玄関先へ集まれと威嚇する。いくらも経たないうちに、その亭主が息子を連れて、車で駆け付けたけれど、これがまたベンツで、亭主は一見してやくざ風、息子は茶髪のいかれた兄ちゃんだった。
そして、全員、玄関の前に並ばされた挙句、階段の上に立ってこちらを見下ろしながら喚き散らす、支離滅裂な亭主の“演説”を拝聴しなければならなかった。
“演説”が始まる前、おばさんに何か言ったらしい搬入要員と引越センターの責任者は丁重に謝罪していたので、『もうそろそろ終わりかな』と思っていたら、突然、親爺の横に立っていた茶髪の息子が、「こらお前! 何笑っているんだ!」と喚き出した。
「一番後ろに立っているお前だ!」と指をさす、どうやら私のことらしい。それまで笑っていた覚えはないが、茶髪の喚き方は余りにも滑稽で、思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、私も神妙な面持ちで謝罪しなければならなくなってしまった。
まあ、笑ったつもりはなかったものの、亭主の“演説”も随分馬鹿らしかったから、聞いている内にちょっと顔が緩んでいたかもしれない。
引越センターの責任者さんによれば、荷主の男もやくざ風だったそうである。おそらく、そのマンションは、やくざに占拠されていたのだろう。人の良さそうなオーナーは、家賃などを徴収できていたのだろうか? ケツの毛まで抜かれていなかったら良いけれど・・・。

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