メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ人のアイデンティティ

先日、新聞に目を通していたところ、クルド問題に関して、ちょっと気になる記述があり、思わず考え込んでしまいました。筆者の方は、クルドの人々が、自分のルーツや母語を躊躇うことなく表明できる社会を希求しながら、次のようにお書きになっています。

「・・・自分のルーツと母語を否定する者に自尊心はない。自尊心のない、打ちひしがれた人間は他者を尊敬できないだろう」

クルド人に限らず、トルコには、自分のルーツや母語を否定とまでは行かなくても片隅に追いやり、「私はトルコ人である」と言って生きている人がたくさんいるはずです。

例えば、2004年2月、ザマン紙のインタビュー記事で、母がクルド人、父はアラブ人でありながら、これについて教育相として心置きなく話すことはできないと述べていたフセイン・チェリック氏は、自尊心に欠ける人物でしょうか? 私にはそう思えません。

トルコ共和国の歴史を振り返ってみれば、こういった例はいくらでも出て来るような気がします。父方がクルド系であるにも拘わらず、クルド人の存在を否定しようとした第2代大統領イスメット・イノニュもそうだし、アタテュルクでさえ、そのルーツに関しては諸説があって何も明らかになっていません。

また、2005年1月、ミリエト紙のインタビュー記事で、「トルコ化に生涯を捧げたユダヤ人」モイズ・コーヘンの伝記を著したユダヤ人のリズ・ベフモアラス女史は、インタビューに答えて次のように語っています。

Q:「クルド人でありながら『トルコ民族主義の原点』を著したズィヤ・ギョカルプと、『トルコ民族主義』や『トルコ人の魂』を書いたモイズ・コーヘンの会見についてはどう考えていますか?」

A:「モイズ・コーヘンは、ズィヤ・ギョカルプのことを新しいカバリスト(訳注:神秘主義者?)として見ていました。ギョカルプがクルド人であることをコーヘンは知らなかったのではないかと私は思います。ギョカルプのイデオロギーは、自分のアイデンティティーを捜し求めている者にとって非常に魅力的です」

ギョカルプのイデオロギーは、“トルコ民族主義”に他ならないけれど、リズ・ベフモアラス女史は、これを「自分のアイデンティティーを捜し求めている者にとって非常に魅力的」と評しています。

私のような人間には、こういう感覚がなかなか理解できません。私は生まれつき日本人であり、これに何の疑いも抱かず、この意味で自分のアイデンティティーを捜し求めたことなど全くなかったからです。おそらく家系を遡ったところで、そういうアイデンティティーを捜し求めた御先祖などは見つからないでしょう。

しかし、トルコでは、以下のような見解を明らかにする識者もいます。

「貴方の祖先も私の祖先も、ある時期に宗教とエスニック・ルーツを変えている。凄まじいほど、宗教、文化、アイデンティティーの変更が行われたはずだ。貴方も私も祖先を遡れば、ある時点でビザンチン人になってしまう。ギリシャに住む人たちも、トルコに住む人たちもエスニック・ルーツはオスマンへ、そしてビザンチンへ遡ることができる。我々の祖先は、ある時点でイスラム教を認めて改宗したが、ギリシャ人は変えなかったのである」


ギュルセル・コラット氏の著作「カッパドキア」には、オスマン帝国の時代、ギリシャ正教からイスラムへ改宗した村が、その後も教会を全て取り壊さず、“万が一の用心”に、一つだけ残して置いたというエピソードが紹介されていました。どちらに転んでも大丈夫なようにしていたのでしょうか?

文明の十字路と呼ばれ、様々な宗教や民族が行き交ったアナトリアの人々の知恵と言えるかもしれません。

他にも、アルメニア正教からイスラムへ改宗してクルド人となった人々、クルド化してしまったトルコ部族等々、実に様々な人々がいて、お互いに混じり合い、共に暮らしてきました。オスマン帝国の末期、この共同体が崩れてしまいそうになった時、これをまとめるイデオロギーとして、ズィヤ・ギョカルプは“トルコ民族主義”を提唱したのでしょう。

現在、クルド民族としての主張を明らかにしている人々を「トルコ民族の裏切り者」と言うことができないように、ズィヤ・ギョカルプのような人々を「クルド民族の裏切り者」などと言ってはならないはずです。

トルコの民族問題は、とても複雑に絡み合っていて、私のような外部の人間には、その様相がどうにも捉え切れません。日本のメディアで“迫害されるクルド人”などと簡単に報道されているのを読んだりすると、何だか歯がゆいような、やり切れない気分になります。