メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ語の時代?

2014年に亡くなったクルド人の友人は、まだ元気だった頃に、イランを旅行していた。2010年か2011年だったと思う。

友人は西北部のタブリーズで、非常な歓迎を受けたそうだ。タブリーズの辺りは南アゼルバイジャンとも言われ、住民の殆どがアゼルバイジャン共和国と同様にテュルク系アゼリー人であり、流暢にトルコ語を話す人が多いらしい。友人も、タブリーズではトルコ語で交流を楽しむことが出来たと嬉しそうに話していた。イラン旅行の最も良い思い出はタブリーズだったという。

一方、西南部の「クルディスタン」では、それほど歓迎されなかったようだ。「素晴らしいと思ったのは、イランで『クルディスタン』という名称が公的に認められていたことぐらい。住民がクルド人同胞とは感じられなかった」と残念そうだった。方言の違いがあって、クルド語も余り通じなかったらしい。

もっとも、「石油で潤っている所為か、トルコの『クルディスタン』とは比較にならないくらい街並みは整備されていた」そうである。

30年ほど前だが、「タブリーズの人たちはトルコ語に近いアゼリー語を話すものの、シーア派だから意識としては『イラン人』である」という話を聞いたけれど、最近は少し変わって来ているのだろうか?

例えば、イランの最高指導者ハメネイ師は、父方がアゼリー系であるためアゼリー語を話す。だからと言って、シーア派アーヤトッラーであるハメネイ師がトルコに対して友好的であるとは全く考えられなかった。

しかし、イランでは、革命以降、国家がシーア派の信仰を押し付けてきたため、一般市民の間では、宗教意識が却って薄らいできているのかもしれない。

トルコでは、この30年来、産業化に伴って農村地域から大都市へ押し寄せた人々が、農村のイスラム的な伝統も「西欧的な大都市」へ持ち込んだことにより、「イスラム化」が騒がれているけれど、大都市への移住後に育った今の20~40歳の世代は、宗教意識にも相当な変化が見られる。

インターネットにより、海外の情報、流行も瞬く間に伝わってしまうので、その変化、多様化を押し止めることは、最早、不可能であるようにも感じられる。

私にイランの状況は解らないものの、やはり産業化・都市化の傾向は顕著であるに違いない。少子化においては、トルコの先を行っているようだ。タブリーズで宗教意識が薄れ、言語的な近さからトルコへの親近感が増しているとすれば、イラン国家にとっては由々しき問題だろう。

アゼルバイジャン共和国に至っては、ソビエト時代に宗教が後退したため、人々の間に「シーア派スンニー派」といった意識は相当薄くなっているかもしれない。いよいよトルコが、「トルコ語」という言語の力を発揮する時が来ているのだろうか?

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