《2017年6月22日付け記事の再録》
2016年の10月だったか、「韓国で、火葬の割合が80%に達した」というニュースを読んだ。1988年、私が韓国に滞在していた頃は、土葬が殆どであり、火葬には強い抵抗を示す人たちが多かったので、何とも言えず時代の移り変わりを感じてしまった。
それから、2ヶ月ほどして、今度は、「イタリアで、火葬の割合が20%・・・」というニュースを読み、ちょっと驚いた。
韓国の場合、土葬を続けると、近い将来、国土の大半が墓地になってしまう恐れがあるため、火葬の普及に取り組んできたわけだが、イタリアは、火葬が未だ20%で大丈夫なんだろうか?
また、イタリアに限らず、キリスト教では、火葬を嫌がる傾向が強いと言われているので、他のキリスト教の国々の状況も気になってしまう。
もちろん、火葬はイスラム教でも拒絶されている。しかし、イスラムの土葬は、特別な布で覆った遺体を、そのまま地中に埋めて、遺体が土に戻れば良く、その後、また別の遺体を埋葬することも出来るそうだから、墓地がどんどん増えていく心配はないという。(ユダヤ教の土葬もほぼ同様であるらしい)
キリスト教による埋葬の仕方は、遺体を棺桶に収めた状態で、棺桶ごと地中に埋めるため、墓地は際限なく増えていく可能性があるらしい。
2007年の4月に亡くなったルムのマリアさんも、立派な棺桶に収められ、イスタンブールはシシリーのギリシャ正教徒の墓地に眠っている。
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≪ルムとは「ローマ人」の意であり、トルコに住んでいるギリシャ人は、自分たちを、ギリシャ共和国のギリシャ人(ユナンル)と区別して、必ず「ルム」と称している。千年の都コンスタンティノポリで暮らすルムの人たちにとって、ユナンル(ギリシャ人)というのは少し田舎者のように聞こえるらしい。≫
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そういえば、このギリシャ正教徒墓地も、イスタンブールのど真ん中に、かなりの面積を占めているけれど、イスタンブール市内にあるギリシャ正教徒やアルメニア正教徒の墓地は、現存していらっしゃる方々の人口に比べて、異様に多いような気もする。
ところで、アトランティック・レコードの創業者であるアーメット・アーティガン氏(トルコ語ではアフメット・エルテギュン)は、ウスキュダルのオズベックレル・テッケスィ(オズベックレル僧院)にあるイスラム教墓地へ埋葬されたが、それはイスラムによる土葬と少し異なっていたようである。
2006年の12月にアメリカで亡くなったアーメット・アーティガン氏の遺体は、故国に運ばれて、イスラムの葬儀が営まれたものの、キリスト教徒であるアーティガン氏の未亡人は、夫の遺体が布に覆われただけで地中に埋められるのを拒み、棺桶に収められたまま埋葬されるように望んだという。
しかし、それでは「亡骸を土に戻す」というイスラムの埋葬法に相応しくないため、「棺桶の窓を閉めずに、そこから入っていく土と遺体を接触させる」という折衷案が採用されたそうだ。