メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの厳しい現実

イスタンブールの正式な名称は、20世紀の初頭に至るまで「コンスタンティニイェ」だった。当時は、市の人口の半数近くをギリシャ正教徒やユダヤ人のような非イスラム教徒が占めていて、コスモポリス的な雰囲気が漂っていたそうである。 

現在は、その殆どがイスラム教徒のトルコ国民になっているものの、オスマン帝国からビザンチン帝国へ遡る歴史的な重層を様々なところで感じ取ることができるだろう。 

建造物などの遺跡はもちろん、料理にもビザンチン以来の伝統が引き継がれてきたのではないかと思う。今でもイスタンブールに暮らすギリシャ系の人々は、自分たちをルム(ローマ人)と称して、ギリシャ共和国ギリシャ人(ユナンル)と明確に区別し、自分たちの料理を「ポリティキ(コンスタンティノポリ風?)」と呼んでいる。 

2004年から2005年にかけて、イスタンブールで間借りしていた部屋の家主だったルムのマリアさんもポリティキの料理を作り、ユナンルの田舎料理と一緒にされるのを嫌がっていたけれど、その料理はイスタンブールトルコ料理と何ら変わりがなかった。 

西欧の人たちが、ギリシャ料理ではなくトルコ料理世界三大料理の一つに数えたのは、こちらの方がコンスタンティノープルの伝統を引き継いでいると感じたためであるかもしれない。 

いずれにせよ、イスタンブールの料理は、ギリシャの人たちからもその洗練された味覚を認められているという。 

イスタンブールの魅力は、そういった歴史的な遺産や料理の美味しさに留まらない。一千万の人口を有するダイナミックな近代都市という面も併せ持っている。ヨーロッパから中東にかけての地域では「最大の都市」と言っても良いはずだ。 

これほどの魅力を持つ都市とその国が、日本ではネガティブな話題以外、あまり多く取り上げられていないのは、私のようなトルコフリークにしてみれば、不思議としか言いようがない。 

オスマン帝国を完全に分割して、この地域を自分たちの意のままにすることができなかった西欧の権力機構が、執拗に情報操作を繰り返し、ネガティブなイメージを作り上げて来た所為だと言ったら言い過ぎだろうか? 

少数民族・マイノリティーに対する支援を「正義」と感じている人たちに納得してもらうのは非常に難しいが、「クルド問題」などというのも西欧が作り上げ扇動してきた結果ではないかと思う。 

例えば、「オスマン・トルコ帝国」という表現も西欧由来の誤った認識に数えられているけれど、日本の立派な識者の方たちが未だにこの表現を使っているのに驚く。民族という概念さえなかった「オスマン帝国」で多数派を構成していたのは「ムスリムイスラム教徒)」だったかもしれないが、「トルコ人」ではなかった。クルド語を話す人々も多数派のムスリムであり、マイノリティーとは言えなかった。 

しかし、トルコ共和国政府が「クルド語」の存在さえ認めず、80年代にPKKが武装蜂起すると、これを武力のみで制圧しようとしたのは明らかに間違っていた。90年代には、国家憲兵(ジャンダルマ)によって作られた「JITEM」という組織が、PKKとの関連を疑われたクルド人らを非合法的な処置で次々に暗殺していたのではないかと言われている。 

2002年にAKP政権が発足すると、こういった過ちは少しずつ是正され、2013年には「クルド和平プロセス」がいよいよ結実するかと思われていたものの、2015年、PKKが武力闘争を再開して、これは敢え無く頓挫してしまう。 

ギュル前大統領らは、今でもこの「クルド和平プロセス」を推し進めるべきだとしているようだが、これはどうなんだろう? 分割の危機を認めてプロセスの凍結を宣言したエルドアン大統領は、遥かに現実的と言って良いかもしれない。 

ひょっとすると、AKPに懸念を感じていた軍部や司法といった共和国の根幹を成す機構の有力者が最も危惧していたのはギュル前大統領らの方であり、エルドアン大統領は意外に話せる相手と見られていたのではないか・・・。 

実際、あれだけ議会で罵り合っていたCHPのバイカル前党首は、エルドアン大統領と密かに話し合っていたのである。罵り合っていたのは欧米の目をくらます演出だったような気もする。 

欧米が「隙あらばトルコを分割してしまおう」と狙っているのは、おそらく事実だろう。それが「同盟国」に数えられていて、トルコ国内に軍事基地まで持っているのだから、トルコを取り巻く現実は非常に厳しい。やはり「国難」と言って差し支えないと思う。

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