メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「トルコ人」というアイデンティティー

3日ほど前、トルコの南東部クルド・アラブ地域のバットマンで、学生との対話集会に参席したエルドアン大統領に対してクルド語で話しかけた女子学生が話題になっている。

政権寄りの識者たちは、これをクルド問題における大きな前進と評価しているようだが、果たしてどうなのだろう?

学生は、クルド語で話しかけた後、自分でそれをトルコ語に訳しているけれど、その内容は徹頭徹尾エルドアン大統領を褒め上げるもので、これに拍手喝采している参加者たちを見たら、ひと頃流行った「喝采屋」という言葉を思い出してしまった。

喝采屋:政権のやることには何でも拍手喝采する人たちを「şakşakçı」と揶揄する言い方があって、私はこれを「喝采屋」と訳してみた。

かつてエルドアン政権を支持していたものの、現在はかなり批判的なニハル・ベンギス・カラジャ氏は「政権は(トルコ民族主義的な)MHPの影響でアンチ・クルド的な傾向を強めていたので、クルド人の動向に懸念を抱いている。・・」と述べ、これもクルド人との関係を修復するためのものではないかという見解を明らかにしている。

もちろん、対話集会には政権支持派の学生を集めていたに違いないが、それ以上にやらせ的な要素もあったということだろうか?

YouTubeの映像を見ると、発言している学生の直ぐ右後方に、農産大臣等を歴任したAKPの重鎮メフディ・エケル氏の姿がある。ディヤルバクル県出身のクルド人クルド語に堪能なエケル氏は、学生のクルド語に耳を傾けながら、途中でマスクを外している。場合によっては、自分が通訳しなければと思ったのかもしれない。エケル氏は学生が突然クルド語で話し始めたので驚いていたようにも見える。「やらせ」があったとしても、クルド語発言までは「シナリオ」になかったような気もする。

とはいえ、カラジャ氏が嘆いたように、現在のエルドアン大統領が民族問題で以前の革新的な姿勢から退いてしまったのは確かだと思う。

なにしろ、かつてはエルドアン氏が自ら「トルコ人ではなく『トルコに住む人』と言おう」などと提唱していたのである。

ジャーナリストのエティエン・マフチュプヤン氏は、上記の2ケ月ほど前の記事で、現政権は国家に取り込まれてしまったというように述べていたけれど、エルドアン氏は元々国家の側にいた人であったのかもしれない。

しかし、「トルコに住む人」などと言わなくても、「トルコ人」というのは、「アメリカ人」のように民族性を持たない概念であるという了解が得られつつあるようにも思われる。

昨年の10月に亡くなったマルカル・エサヤン氏は「オスマン帝国は、現在のアメリカ合衆国のようだった」と語っていたが、アルメニア教会で営まれたエサヤン氏の葬儀にはエルドアン大統領夫妻も参席している。

政治的な動向はともかく、トルコの社会は、その発展の中で、以前、人々の間を仕切っていた様々な垣根を取り払ってきたのではないだろうか?

9月にニューヨークで催された「トルコ館」のオープニング式典には、トルコ国籍を有する在米国ギリシャ正教会のエルピドフォロス大司教も参席して、「ここは私たち皆の館ですから・・・」と話していた。

トルコに住んでいる人たちが、民族性や宗教の違いを乗り越えて、誰もが「トルコ人」というアイデンティティーを持つことが出来て、それが特に不思議とも思われない時代は、もう直ぐそこまで来ていると思う。

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