トルコでは、フェトフッラー・ギュレン師の教団が、2016年7月15日のクーデター事件を始めとする様々なテロを企図した「テロ組織」であると見做されている。
しかし、日本の全国紙にギュレン教団を「テロ組織」と見做すような記事が出ることはなかった、と思っていたが、実は以下のように2年前の産経新聞にチャヴシュオール外相(当時)の寄稿した記事が掲載されていた。
ここでチャヴシュオール外相はギュレン教団をテロ組織と断定して激しく非難しているばかりか、教団が各国に設立した語学センター等で「洗脳教育」を行っていることにも言及している。
私は、数日前、ツイッターの投稿を見て、ようやく記事の存在を知り、これを読むことができた。ツイッターも結構役に立っている。
もっとも、記事はチャヴシュオール外相の寄稿によるもので、新聞社にその文責はない。その後も全国紙にギュレン教団の謀略を追及する記事が掲載されることはなかったようである。
しかし、トルコや周辺国で精力的に取材してきた記者の方たちは、ギュレン教団の実態をかなり早い段階から見ていたのではないかと思う。
2007年、まだギュレン教団を「モダンで開明的なイスラムの教団」と思い込んでいた私に、教団の恐ろしい実態を説き明かしてくれたのは、トルコへ取材に訪れた記者の方だった。
記者の方によれば、ギュレン師は、弟子として育成する子供を選別する際、ハマム(トルコの蒸し風呂)で子供の身体まで入念にチェックしたそうである。
当時、私は『そんなことあるわけがない』と一笑にふして取り合わなかったけれど、クーデター事件以降、教団が優秀な弟子たちを軍部に送り込んでいたという事実が明らかになってきた。
弟子を軍人にさせるつもりなら、当然、身体をチェックする必要があったのかもしれない。
1998年頃だったと思う。ギュレン教団が東京にトルコ語学校を開設すると、早速、様子を見に行って教団の人たちと知り合い、直ぐに親しくなった。
2003年、横浜にインターナショナルスクールが開校した時も、私はお祝いの言葉を述べに駆け付けた。
トルコ語学校の責任者だったレジェップ・オズカンさんには、親しみと言うより敬意を感じていた。学識のある非常に優れた人物だったが、私に対しても、いつも謙虚な態度で接してくれた。
そのため、2016年にクーデター事件が起こっても、『まさかレジェップさんは関わっていなかっただろう』と信じたい気持ちだった。
事件後、多分、2017年になってからトルコへ取材に来た中東を専門とする記者とギュレン教団について話していると、彼もレジェップさんのことを良く知っていたので、その取材範囲の広さに驚かされた。
しかし、私が「クーデターのような事件にレジェップさんが関わっていたとは思いたくない」と吐露したところ、「いや、それは甘い考えでしょう。レジェップは教団の幹部ですよ。あらゆる事件に関わっていたと思いますね」と言い返されてしまったのである。私はプロのジャーナリストの厳しさを見る思いがした。
その後、教団の実態が次々と暴かれていった過程を振り返って見ると、やはり記者の推察は正しかったのかもしれない。
とはいえ、そういった推察はもちろん、おそらくは取材で確証を得ていた事実も、記者が所属する全国紙の紙面を飾ることはなかったようである。
「プロのジャーナリストの厳しさ」と申し上げたけれど、新聞社という大きな組織に所属していれば、当然、様々な制約を受けてしまうのだろう。
一人で働いているわけじゃないから、勝手なことをすれば周囲へ迷惑を及ぼすに違いない。それも、職業として収入を得ているプロの厳しさと言えるのではないかと思う。