メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

死刑復活の議論はどうなったのか?

土曜日(10月15日)、クルチェシュメの辺りからは、ボスポラス海峡を隔てたアジア側のチャムルジャに建設中の巨大なモスクが良く見えた。

このモスクの建設を巡っては、ラディカルな左派・政教分離主義の人たちが激しく反対して、一悶着あったけれど、どうやら、既にモスクは落成を間近に控えているようだ。

クーデター事件以来、暫くの間は、第一野党の左派CHPも、AKP政権に協調的な姿勢を見せていたものの、最近、様々な所で齟齬が生じており、何だか元の鞘に収まってしまいそうな気配を見せている。モスクが落成する頃には、また一悶着あるかもしれない。

一方、右派の野党MHPのバフチェリ党首は、AKP政権の主張して来た「大統領制を含む憲法改正」に理解を示すかのような発言で、波紋を投げかけている。

MHPが協力したとしても、議会で憲法改正を実現する票数は得られないが、少なくとも国民投票に持ち込むことは可能らしい。もっとも、これは未だどうなるか全く解らない段階の話である。

ところで、8月12日の便りに、「死刑復活には、憲法の一部改正が必要と言われていて、そうなると、CHPとHDPが反対票を投じれば、これは否決されてしまうらしい」と書いてしまったが、考えて見ると、あれもMHPの協力が得られれば、国民投票には持ち込める。MHPは、AKP政権よりも死刑復活に積極的であるかもしれない。

しかし、死刑復活の熱も大分冷めてしまったのか、この話題は、もうそれほど盛り上がっていない。仮に、アメリカから、フェトフッラー・ギュレン師が送還されるようなことになれば、また一時的に盛り上がる可能性は無きにしも非ずだが、それも最終的には冷めてしまうのではないかと思う。

なにしろ、あれだけ死刑が熱望された元PKK党首オジャラン氏でさえ、結局、何ともならずに未だ生きているのである。

1960年のクーデターで、メンデレス首相と共に拘束されたバヤル大統領は、メンデレス首相が処刑された後、獄中の同志らに、「まあ、我々は処刑されないで良かった。もう大丈夫だ。そのうち外へ出られるから・・」と語ったそうだ。実際、バヤル大統領は、1964年に早々と釈放され、1986年まで、103歳(!)の長寿を全うしている。