メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「我々は強くなければならない」:エルドアン大統領

野党CHPのクルチダルオウル党首らが、司法の「公正」などを訴えながら「行進」して以来、欧米では、トルコの「不公正な司法」への批判が、また高まりを見せていたらしい。
これに対して、トルコの識者の中からは、「欧米を中心とする国際社会はどれほど公正なのか?」という反論の声も上がっている。確かに、弱肉強食の国際社会が「公正」だった例は、歴史上、殆どなかったような気もする。
しかし、そういった国際社会で生き残るため、欧米は自らを厳しく鍛え上げて来たのではないかと思う。自分を甘やかして鍛え損なった弱者が文句を言っても始まらないだろう。
7月15日の式典で、エルドアン大統領は次のように語っていた。
「この世界は奇妙な世界だ。“7月15日クーデター”によって思い知らされたが、国家として、民族として、我々は強くなければならない。・・・強くなければ、我々に一日たりとも生きる権利を与えてくれない・・・」
これは、様々に解釈できるけれど、「生きる権利を与えてくれない」という言い方は、なかなか意味深いかもしれない。何故なら、エルドアン大統領が、その権利を国際社会の秩序の中で求めているようにも受け取れるからだ。
そして、この言葉の後に続くのが、「それほど多くの敵が待ち構えているため、我々がその名を一つ一つ挙げたら、我々は非常に重大な国際外交の危機に直面してしまう」という発言である。
つまり、無謀な挑戦によって、国際外交へ危機をもたらすのではなく、国際社会のルールに則り、その中で認められる“力”を望んでいるように思える。
その為には、経済力や軍事力はもちろんのこと、認めてもらえる“民主主義”を発展させなければならない。そもそも、これがアタテュルクによって示された共和国の理念ではなかっただろうか?

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